2016年01月14日

氷河期の下総(4)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





氷河時代の下総(4)−地形の変遷−

 前述したように、気候の変動と海水面の変動は連動しています。つまり、氷期には海水面が下がり、これを地質学的に「海退」といいます。一方、間氷期には海水面が上がり、これは「海進」とよばれます。それでは氷河時代の下総台地はどのような水陸の分布を示したのでしょうか。


 
1.リス―ウルム間氷期


図9に示したように、リス―ウルム間氷期の12〜13万年まえの関東地方は、現在の関東平野のほとんどが海に沈んでいました。房総半島南部の比較的標高の高い房総丘陵(最も高い地点で標高408m)が大きな島となっており、また、銚子には現在の愛宕山(標高74m)という小高い地域がありますが、ここが太平洋の小島としてわずかに海面から顔をだしていたようです。当然ですが、大学のある我孫子(最も高い地点で標高22m)は、古東京湾の沖合で海底に沈んでいました。この当時、関東地域の西側では、古箱根火山や古八が岳火山が活発となり、その降り積もった火山灰などにより、主に関東地域の西側の陸地に下末吉ロームという最も古い関東ローム層(赤土)が形成されました。


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図9.リス―ウルム間氷河期の水陸の分布
(破線は現在の海岸線)





2.ウルム氷期


次に、今から約6万年前の古ウルム氷期になると、気候の寒冷化に伴って海退が進みました。図10に示すように、東京湾はかなり小さくなったと考えられています。この時代には、本学のある我孫子は完全に陸化しており、箱根火山から出された火山灰等によって武蔵野ロームという赤土が形成されました。
 また、最も寒くなった時期の一つとして、約2万年前の主ウルム氷期の時代には、さらに海退が進み東京湾は完全に消失しました。その結果、利根川(江戸時代まで現在の東京湾に注いでいました)や多摩川の河川が延長され、現在の東京湾のほぼ中央に古東京川という“まぼろしの川”を形成し、深い谷地形をつくっていました(図11)。この時代には、現在の富士山の前身である古富士山の活動によって、立川ローム(関東ローム層の一番上にある赤土)が形成されています。



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図10.古ウルム氷河(約6万年前)における水陸の分布



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図11.主ウルム氷河(約2万年前)における水陸の分布



3.後氷期


氷期の終わった後の時代を後氷期(第四紀完新世)といいます。縄文時代前期の約6,000年前には、温暖化により関東平野の奥(群馬県や栃木県)まで海が広がりました。このことは、貝塚の痕跡からも認めることができます。また、館山では、現在の標高で15〜20mぐらいのところに熱帯から亜熱帯に生息する造礁性サンゴの化石が大量に見つかっています(通称「沼のさんご礁」といわれています)。こうしたことからも、当時は現在よりもかなり気温が高かったことが推定されます。ちなみに、この時期の本学は、内湾の海底にあったことが分かっています(図12)。

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図12.縄文前期(約6000年前)の水陸の分布




(5) につづく


教育学部 社会教育学科 教授 二上政夫









posted by 園遊会 at 15:01| Comment(0) | 東葛我孫子発見伝