2016年02月18日

氷河期の下総(5)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





氷河時代の下総(5)−化石から環境を復元する

 1.上岩橋貝層

 千葉県酒々井町(本学から車で約40分)には、リス氷期の後期(15〜24万年前)に古東京湾に堆積された「上岩橋貝層」という地層が厚さ約50cmの化石床をなして見られます(図13)。この貝層からは、トウキョウホタテやエゾタマキガイなどの貝化石が産出します。これは本州の北から南に向かって流れた寒流の影響を受けた化石群集と考えられており、氷河期の痕跡を知る上で貴重なものです。このため、写真の地層は、昭和50年に千葉県の指定文化財に登録されています。なお、この露頭の西側には15世紀後半に、千葉氏による築城「本佐倉城」(国指定の史跡)があり、この周辺でも上岩橋貝層が見られます。


二上13.jpg


図13. 酒々井町で見られる上岩橋貝層(厚さ50~70cm)。


二上13−2.jpg


図13の拡大図


 

2.木下貝層

 千葉県印西市周辺(本学から車で約20分)には、リス―ウルム間氷期の約12−13万年前に下末吉海進により古東京湾で堆積された厚さが1m以上の貝化石の地層があります。この地層からは、二枚貝のアサリ、バカガイ、サラガイ、タマキガイなどの他に巻貝のアカニシやウニのカシパンウニなどが見出され、暖流系の化石群集とされています。また、この化石層の上には、ウルム期に箱根火山や古富士山などの火山から噴出した火山灰によって形成された関東ローム層が見られます。この貝化石の見事な地層は、印西市の木下万葉公園の道路沿いの崖(成田線木下駅から徒歩5〜10分)で見ることができます((図14、15)。



二上14.jpg


図14.印西市にある木下万葉公園の北西部で見られる木下貝層
(国指定の天然記念物)



二上15.jpg


図15.木下万葉公園の南側で見られる木下貝層
(国指定の天然記念物)




この木下貝層の一部は、いわゆる続成作用により固結し、比較的硬い部分が見られます。これ以外に下総地域には、硬い岩盤(岩石)が地表に露出していないため、唯一の岩石となっています。なお、硬い岩石は、最も近いところで、茨城県の筑波山か、または、千葉県の銚子に行かないと、見ることができません。したがって、この地域では、古くは、古墳時代に古墳の石材として、この木下貝層が切り出されていました。例えば、博物館「千葉県立房総のむら」近くにある龍角寺岩屋古墳の石室は、この化石層によって出来ています。また、江戸時代以降は、神社仏閣等の石灯籠や民家の石塀として、広く利用されていました。例えば、石灯籠では、上述の木下万葉公園から北へ500mぐらいのところに位置する「山根山(やまねさん)不動尊」の境内で、2基の立派な石灯籠が保存・管理され、間近で見ることが出来ます(図16)。なお、この寺のお堂は、極最近に破損し、残念ながら現在、お堂を見ることが出来ません。



二上16.jpg



二上16−2.jpg


図16(左右)。 山根山不動尊の境内で見られる木下貝層を使った石灯籠




3.江古田泥炭層

 東京都中野区江古田には、「江古田泥炭層」とよばれる少なくとも3層の泥炭層の存在が知られています。泥炭層は、別名「ピート」ともよばれ、植物の遺骸や花粉等を多量に含む地層で、寒冷地域(特に緯度45度以北)で多く形成される堆積物です。この泥炭は、時には燃えるため、燃料として使われることもあるものです。江古田泥炭層は、こうした植物の遺骸を含むため、放射性炭素法(C14法)を使って、地層の形成された年代(絶対年代)が求められています。その結果、3つの泥炭層のうち最下層のものは、2万8770±2600年前の主ウルム氷期時代に形成されたものであることが分かりました。この地層から産出する植物化石は、イチイ、アオモリトドマツ(オオシラビソ)、カラマツ、イラモミ、コメツガなどの針葉樹のほか、ハンノキ、サワシバ、ブナ、シナノキなどの広葉樹、さらには、キタヨシ(寒冷型の葦)やカキツバタ(アヤメの仲間)など21種類の寒系の植物が知られ、これらを含む地層を「江古田針葉樹層」ともよんでいます。このような植物群集から、当時の気温は現在よりも8〜14℃低かったことが推定されています。このことは、少なくとも江古田では、現在の日光の戦場ヶ原や尾瀬沼のような環境であったことが推定され、冬場は雪によって閉ざされていたことが考えられています。

したがって、下総台地は、こうした江古田から地理的にさほど遠くないことを考えると、ウルム氷期の最も寒かった頃に江古田と同様な環境であったと考えることができます。
このような環境を考えると、もしかしたら、氷期には本学の庭にもマンモスが闊歩し、ライチョウが飛び回っていたことを想像するかもしれません。しかし、残念ながら、マンモスは、現在までの化石の証拠から北海道まで進出しましたが、下総台地までは来なかったと考えられます。




教育学部 社会教育学科 教授 二上政夫





posted by 園遊会 at 10:24| Comment(0) | 東葛我孫子発見伝