2016年04月21日

「紫の物語」としての『源氏物語』(3)

地域とともに活躍する川村学園女子大学




(3)

 10代後半の光源氏は、報われることのない藤壺宮への恋に煩悶する日々を送っていました。そんなある日、流行り病の療養のために訪れた北山で、光源氏は一人の少女に出会います。それが若紫の君、のちの紫の上です。

【本文】
十ばかりやあらむと見えて、白き衣、山吹などの萎えたる着て走り来る女子(をむなご)、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌(かたち)なり。髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。

【現代語訳】
十歳くらいかと見えて、白い下着に山吹襲(やまぶきがさね)などの着なれた表着(うわぎ)を着て走って来た女の子は、大勢姿を見せていた他の子供たちとは比べものにならず、成人後の美貌もさぞかしと思いやられて、見るからにかわいらしい顔だちである。髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、顔は手でこすってひどく赤くして立っている。



 周りの子どもたちと見比べると、紛れようもなく血筋の良さが感じられる少女に、光源氏の目は引きつけられます。その少女の顔かたちは、焦がれてやまない藤壺宮にそっくりなのです。後々分かることですが、この少女は、藤壺宮の姪なのです。つまり、「他人の空似」であった桐壺更衣・藤壺宮とは違い、藤壺宮と少女には血縁(ゆかり)があるのでした。

 さて、一目で若紫を見初めた光源氏は、紆余曲折の末に彼女を自邸へ引き取り、養育するようになります。若紫は、お顔立ちがかわいらしいだけではなく、とても頭の良い少女でした。書も和歌も、砂が水を吸収するように、瞬く間に上手になっていきます。そんな若紫の様子に心から満足した光源氏は、ある日彼女にひとつの歌を詠み贈ります。

【本文】
手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草

【現代語訳】
早くこの手で摘み、そばで眺めたいものだ。(藤の花の色である)紫色が、その根にかよっている、野辺の若草のような少女の美しさを。





(4)につづく

文学部 日本文化学科 講師 森田直美





2016年04月04日

「紫の物語」としての『源氏物語』(2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





(2)

 桐壺更衣は、桐壺帝に寵愛を受けたことで周囲に疎まれ、幼い光源氏を残して他界します。更衣は、桐壺帝に最後の別れを告げる際、以下のような和歌を詠んでいます。

「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」

【現代語訳】
「これを今生の限りと、お別れしなければならない死出の道が悲しく思われるにつけて、私の行きたいのは生きる道のほうでございます」

 実は、この場面に至るまで、作中に桐壺更衣の言葉や和歌は、一度も記されていません。
 夫である帝との今生の別れに、初めて記された更衣の和歌は、温和でか弱い彼女のイメージから考えると、とても強い、きっぱりとした詠みぶりです。まさに末期の絶唱と言えるでしょう。
 この和歌を皮切りに、「紫のゆかり」は動き出します。


さて、桐壺更衣を亡くし、桐壺帝はなかなか悲しみから立ち直ることができません。その姿を見かねた周囲は、更衣に顔かたちがそっくりな、先帝四の宮(藤壺)を入内させます。

【本文】
藤壺ときこゆ。げに御容貌(かたち)ありさまあやしきまでぞおぼえたまへる。これは、人の御際(きは)まさりて、思ひなしめでたく、ひともえおとしめきこえたまはねば、うけばりてあかぬことなし。

【現代語訳】
藤壺と申しあげる。いかにもお顔だち、お姿が、不思議なまで亡き更衣に似ておいでになる。このお方は、ご身分も高いだけに、申し分なくご立派で、どなたも貶め申しあげることがおできにならないので、何の気がねもなく堂々とふるまっておられる。

 桐壺更衣に「あやしきまでぞおぼえたまへる(不思議なまでにそっくりな)」藤壺宮の入内によって、桐壺帝の心は次第に慰められていきます。そして光源氏は、時々ものの隙間から、ちらと目にした藤壺宮の美しさに心惹かれ、やがて彼女を思慕するようになります。しかし、父親の后である藤壺は、どんなに恋い焦がれても、決して手の届かない女性です。

(3)につづく


文学部 日本文化学科 講師 森田 直美