2016年06月09日

「平安時代の政治手法や貴族の家族生活」(『清慎公記』・『蜻蛉日記』より) ー2016年 最終講義ー

地域とともに活躍する川村学園女子大学





   男もすなる日記というもの、女もしてみんとてすなり

 誰もが諳誦したことのある紀貫之『土佐日記』の一節です。今回は、この「男もすなる」という平安時代の貴族男性の日記『清(せい)慎(しん)公記(こうき)』と、「女もしてみん」として書かれた『蜻蛉(かげろう)日記(にっき)』を材料として、平安時代の政治手法や貴族の家族生活についてお話しします。




1. 日記が示す一族の明暗


『清慎公記』という名前はあまり知られていません。この日記は、藤原実頼(さねより)の日記です。系図をみて下さい。実頼は藤原北家忠(ただ)平(ひら)の長男で摂政・関白までつとめた平安中期の最高位の貴族で、この一族は彼の屋敷の名前をとって「小野宮流(おののみやりゅう)」と呼ばれます。



『蜻蛉日記』にみる家族像(系譜つき)Jpeg cutting.jpg



 もう一度系図をよくみて下さい。小野宮一族の娘から何人か天皇のキサキが出ますが、男(おとこ)皇子(みこ)は誕生していません。「(「)素(す)腹(ばら)の后(きさき)」と陰口をたたかれた女性もいます。ご存じのように、この時代は天皇家の外戚(がいせき)になった者が権力の中枢に立つ時代です。それでも藤原北家嫡流という家柄によって実頼は摂関の地位は確保しましたが、実権は弟の師(もろ)輔(すけ)にありました。この師輔の一族は「九条流」と呼ばれます。小野宮一族が、外戚になれなかったのに対して、九条流では、代々外戚の地位に恵まれました。『蜻蛉日記』の作者の夫である兼家(かねいえ)、その三男道長(みちなが)によって、小野宮の一族は完全に九条の一族の下位に立たされることになってしまいます。

 そんな小野宮一族にとって、自らの拠り所は家柄でした。一族の祖ともいえる忠平から受け継いだ儀式運営のノウハウや宮中でのマナーの正しい知識、これこそが彼らが誇る一族の財産です。儀式のマナーなど政治活動になんの力があるか、と考えるのは現代だからです。平安貴族にとっては。儀式の円滑な運営こそが「政治」であったといえるのです。マナーに欠ける人物は貴族社会の笑われ者になりました。ちなみに『蜻蛉日記』作者の一人息子道(みち)綱(つな)は、これでよく悪口を言われています。

 実頼も弟の師輔も、朝起きて身支度を調えると、何をおいても前日の朝廷での儀式を細々と記しました。出席者、担当、備品、開始時刻から終了まで、だれがどこで何をどう行ったか、と記録します。本人にとっての次回の備忘のためだけでなく、子孫が同じ儀式に参加するとき滞りなく振る舞えるためにです。それなら、同じ内容を伝えるようですが、そこに書き手の個性がでるようです。豪放(ごうほう)磊落(らいらく)な師輔(この性行は兼家・道長にもありますが)に対して、謹厳(きんげん)実直(じっちょく)といわれた実頼の日記の方がより詳細で正確であったと思われます。

 「思われます」と表現したのは、実頼の日記『清慎公記』はほとんど残っていないからです。孫の実資(さねすけ)の日記(『小右記(しょうゆうき)』(」))や同じく孫の公(きん)任(とう)の儀式書(『北山抄(ほくざんしょう)』)などに、日記の一部が引用されていますから、それらの逸文から少しだけ知ることができるだけなのです。なぜ、一族のお宝ともいえる日記がなくなってしまったのでしょうか。それは、日記は孫たちの共有財産として融通しあっていたようですが、その一部は、実資の娘婿で道長の娘婿教通(のりみち)から頼まれて貸しているとき、火事がおきて屋敷とともに焼けてしまい、また他の一部は、公任がスクラップにして儀式書の下書きに使われて原本はなくなり、また残りは一族の誰かが、借金の形にして今で言う質屋に預けられ流される寸前までいった、とあとかたもなくなってしまったからです。

 孫世代のリーダーであった実資にとって、この日記の消失はどんなに嘆いても、怒っても足りないものでした。彼にとっての『清慎公記』は、本当なら道長親子ではなく、自分こそが摂政・関白であったはずだという思いの拠り所でした。祖父の日記が失われたことこそ、小野宮一族が斜陽になった原因だと考えることで、自らの不遇を慰めたのかもしれません。その後、道長親子から儀式・作法の参考にしたい、と『清慎公記』の借用を頼まれても、自筆のメモや口答で返事をすることで、小野宮流を有職故実の家として認めさせていきます。実資の長大な日記を丹念に読んで行くと、彼の謹直な仕事ぶりとともに、一族の衰退を止められないやるせなさも伝わってきます。



(2)につづく


川村学園女子大学名誉教授 梅村恵子

(元大学院人文科学研究科長)



posted by 園遊会 at 15:10| Comment(0) | 教育