2016年07月21日

「平安時代の政治手法や貴族の家族生活」(『清慎公記』・『蜻蛉日記』より) ー2016年 最終講義ー(2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学






2.メモワール 『蜻蛉日記』



 男の日記が、自身の、そして子孫のための実用書として記され、一族の象徴として扱われてきたのに対して、女の日記はメモワールとよぶのがふさわしいでしょう。今の私も同じような状況にいますが、老いの坂道を下り、そろそろ生の終焉を迎えようという時、ひたすら峠の頂上をめざして一途に歩んでいた頃を想い起こすようです。『蜻蛉日記』も一人息子道綱が独立し、夫であった兼家が手の届かない身分となってしまったと実感したとき、若き日の兼家との愛憎を日記の形を借りて書き綴りました。

 ご存じの方も多いでしょう。平安時代の女性で実名が知られているのは、公的な身分つまり中宮・女御などの天皇のキサキや尚侍・典侍などのキャリア女官、そして位階を授けられた大臣クラスの正妻などに限られます。紫式部も清少納言も女房としての通称にすぎません。そのようなわけで、『蜻蛉日記』の作者は職業を持ちませんでしたから、実名はわかりません。藤原倫(ふじわらのとも)寧(やす)の女(むすめ)とか、右大将道綱の母、そして藤原兼家の妻などと呼ばれますが、今回は、‘作者’と呼んでいきます。また、私の専門は歴史学なので、文学的なアプローチはできるだけ避けようと思います。

 再び系図をみて下さい。



『蜻蛉日記』にみる家族像(系譜つき)Jpeg cutting.jpg





作者の父藤原倫(とも)寧(やす)は地方巡りの有能な受領として活躍する人物で、祖母は清和源氏の嫡流源満仲(みなもとのみつなか)の妹です。典型的な平安中流貴族の家庭の娘として育ちました。「本朝三美人」のひとりとされ、優れた歌人であった彼女のもとにはさぞや多くの求婚者があらわれたことでしょう。その中で父のめがねにかなったのは藤原師輔(前述した九条流の祖)の三男兼家でした。系図をみると「かつらぎの高きわたり」(身分違いの高い家柄)と作者が謙遜するのも納得の家柄です。権力者の一族とはいえ、父師輔が政権を担うのは、まだ先の時ですし、まして兼家は三男坊で身分も低く、おまけに既に妻(正妻)がいることを考えれば、決してベストの選択とはいえません。それでも、倫寧は陸奥守として任地に向かう日が迫っており、4年間の任期を田舎で過ごせば結婚適齢期を大きく過ぎてしまいます。限りない可能性をもつはずの愛娘を兼家に託して、父は陸奥へ旅立ちました。

日記の中での兼家は、次々と愛人を作りますし、正妻時姫とは、従者も巻き込んでの抗争もありました。これは、『源氏物語』の葵祭での葵上と六条御息所との車争いのモデルともなったくらいです。日記の中に作者はいろいろ兼家の悪行を書き綴るのに、それでもなおあふれ出る兼家への想いは、文学研究者ではない私にも伝わってきます。決して理想の夫とは言えない人物ですが、なぜかとても魅力的に映ります。アメリカの南北戦争を舞台にしたベストセラーで映画でも大ヒットした『風と共に去りぬ』の登場人物、レット・バトラーを彷彿とさせる、といったら『蜻蛉日記』ファンに怒られるでしょうか。

(3)につづく



川村学園女子大学名誉教授 梅村恵子
(元大学院人文科学研究科長)




posted by 園遊会 at 10:16| Comment(0) | 教育