2017年04月20日

花祭り―誕生仏立像の諸相―(1)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





花まつり ―誕生仏立像の諸相―


第1回 花まつりと誕生仏立像


花まつりとは、お釈迦さまのご誕生を祝う祭のことです。日本では古来よりお釈迦さまの誕生日は4月8日(旧暦)に当たると伝えられてきました。この花まつりは日本に仏教が伝来した古代から現在まで広く行われてきており、国内の仏教関連の祭りのなかで最も親しまれ、また浸透した祭りといってもよいかもしれません。

花まつりの名称はほかにも色々あり、仏生会、浴仏会、灌仏会などとも呼ばれていますが、この「浴仏」や「灌仏」という語句はこの祭のメインイベントにちなんでいます。花まつりでは、誕生仏立像というちょっと変わった仏像を主役としてお祀りします。種々の季節の花々をあしらった小さなお堂(花御堂)を設置し、そのお堂のなかに甘茶や香水で満たしたタライ(灌仏盤)を据え、そのタライの中央に誕生仏立像を安置します。お釈迦さまの誕生を祝う参加者は、柄杓などでタライのなかの像に甘茶や香水をかけるのです。

この儀式はお釈迦さまの誕生にまつわる伝説に由来しています。
経典によれば、お釈迦さまは六牙の象と化して母・摩耶夫人の胎内に入ったとされ、出産の際には夫人の右脇から産まれました。産まれたばかりのお釈迦さまは、すぐに七歩あるいてから、右手は天、左手は地を指して、大きな声で「天上天下唯我独尊」と発し、誕生を祝福する天の龍王から水を灌がれたと伝えられています。

日本の誕生仏立像は、この誕生の伝説にもとづき、右手を挙げて五指または人差し指で天を指し、左手を垂下して同じく地を指して直立する姿勢をとり、上半身は裸形で下半身に裙(くん)を着した姿にあらわされることが一般的となっています。


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(2)につづく


文学部 日本文化学科 講師 真田 尊光








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2017年04月06日

祭りが生まれる、祭りが変わる(4)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





祭りが生まれる、祭りが変わる―民俗学の立場からみた祭りの現在―(4)



8.生れる祭り@―玉川大学農学部収穫祭


 いくつかの新たに生れた祭りを検討してみます。まず、学祭です。学祭は祭りを名乗っているとはいえ、あくまで「祭り的なるもの」ですが、そのなかに、宗教的な装いをもつものがあります。今日は玉川大学農学部の収穫祭における神輿を事例として取り上げます。収穫祭は昭和40年代初頭、新嘗祭と称して、農学部で収穫した作物で豚汁をつくり、近隣にふるまったことにはじまります。農村行事をまねた催しに過ぎなかったのですが、祭りらしさを求めて、有志で簡素な樽神輿を担ぎはじめます。地方出身の学生たちが、地元での経験をふまえ、お囃子の演奏もはじめました。多様な地方出身者の持ち寄りで、「祭り的なるもの」が出来あがっていきます。


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写真5 玉川大学の収穫祭。2014年及川撮影。




 学祭は地域の祭りとは異質です。大学生という集団は、メンバーの新陳代謝が非常に早い。一年で進級し、卒業していきます。ある意味で、コンスタントに担い手が供給されることをも意味しており、つねに若い活気に満ちています。一方で、技術や知識の継承への工夫も求められます。これを単なる「まねごと」として捉える向きもあるでしょうが、こうした事例は「どのようにあればそれは祭りなのか」を私達に考えさせます。つまり、「祭りとはなにか」を考える手掛かりにもなるでしょう。


9.生れる祭りA―大岡越前祭と信玄公祭り甲州軍団出陣


 「生れる祭り」の中には、自治体や観光協会が企画する観光祭りの類も含まれてきます。次に取り上げるのは信玄公祭りは山梨県甲府市の春の一大イベントです。昭和40年代に武田神社祭礼二十四将騎馬行列と桜祭りを組み合わせて誕生しました。現在は神社祭礼とは離れ、「甲州軍団出陣」という行列行事を実施しています。信玄の軍勢が川中島合戦に出陣する様を演じる催しです。


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写真6 信玄公祭りの陣屋。2009年及川撮影。




 信玄役には例年芸能人が起用されます。信玄配下の武将たちの部隊には、山梨県内の自治体や企業の方々が扮して参加します。写真6は、市内各所の陣屋とよばれるスペースで観客とふれあう部隊の様子です。この後、各隊は駅前ロータリー(近年は舞鶴城公園)から一隊ずつ出陣していきます。
 こうした催しは地元を置き去りにして、観光客のほうばかりを向いているかと言えば、そうでもありません。山梨県下には武田家家臣の末裔を称す方が多数居住されています。中にはこのイベントに参加することを念願にしている方もおられます。最近は、信玄公祭りのパレードに末裔で結成する行列が組み込まれ、喜ばれています。
 観光祭りはどこか空疎なもののようではありますが、一面において、市民の日ごろの練習の成果を示したり、家族の楽しい思い出になったり、アイデンティティに関わる欲求を満たす場でもあるわけです。「本物の祭り」にこだわり過ぎると、イベントや観光祭が生活の中で担っている意味を見過ごすことにもなりかねません。


10.生れる祭りB―YOSAKOIソーラン祭り


 最後に、YOSAKOIソーラン祭りを取り上げてみます。高知で戦後に創出された民謡を活かしたイベント祭りであるよさこい祭りを実見した北海道大学の学生が、札幌でソーラン節を組み込んで企画したのがYOSAKOIソーラン祭りです。この祭りは、鳴子をもち、かつ、ソーラン節の一部が入っていればダンス・楽曲のアレンジは自由で、ロック風・ジャズ風など、現代人の好みを自由に投影できるようになっています。特に、このよさこい系イベントで面白く思われるのは、神社ないし宗教との関わりを求める動きが発生している点です。高知・札幌で、これに関わる神社が生み出されています。ダンスイベントという「祭り的なるもの」であっても、「祭り的」であろうとするかぎりにおいて、祭りであるかのように自己を変化させていくようです。世相の流れとしては、祭礼からイベントへという動きがある一方、イベントを祭り/祭礼的に変化させていこうという動きがあることは祭り文化史上の興味深いトピックといえるでしょう。



むすびにかえて


現代社会における祭礼の変化やイベント祭の誕生を、けしからぬもの/とるにたらないものと見る人がいます。しかし、それらの催しの行なわれる現場に立ち、担い手や観衆のなかに分け入っていけば、変化に応じる柔軟性や担い手のモチベーションこそが、文化の持続の一大要因であるということに気付かされます。そのように、祭り/祭礼/イベントを変えたり創りだしたりする人間の姿、それを担い手や観客として「楽しむ」人びとの情動の中にこそ、祭りの根底的意味を理解する手掛かりがあるのではないでしょうか。少なくとも、そのような人びとの思いの所在と取り組みを記述していくことが、現代の民俗学の大きな課題であると認識しています。


※Web掲載にあたって紙幅を考慮し、公開講座当日のいくつかのトピックを割愛した。


【参考文献】
・及川祥平2015「祭礼的なる場における歴史表象と偉人表象―山梨県下の祭礼・イベントにおける状況を中心に―」『信濃』67巻1号、信濃史学会
・矢島妙子2000「祝祭の受容と展開―『YOSAKOIソーラン祭』―」『祝祭の100年』ドメス出版


文学部 日本文化学科 講師 及川祥平




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