2017年06月29日

エジプトの祭

地域とともに活躍する川村学園女子大学





エジプトの祭り:古代エジプトとイスラームのはざまで(1)


はじめに

 エジプトの祭りといったら、皆さんはどのようなものを想像されるでしょうか。エジプトといったらピラミッドなど古代エジプトのイメージが強いと思われますが、同時に、現代のエジプトに住む人々の大半はイスラーム教徒であるということもご存じかと存じます。

 では、そもそも現代のエジプトにお祭りはあるのでしょうか。実は、エジプトには数多くのお祭りがあります。お見せできる写真がないのが残念なのですが、お祭りが行われている町へいってみると、屋台や見世物がたくさん並び、ハレの衣服を着た人々が家族づれで祭りを楽しんでいる姿をみることができます。以下においては、「祭り」をとおしてエジプトの人々の日常生活とその楽しみについて紹介していきます。


1. イスラームの祭り

 エジプトの人口の9割程度はイスラーム教徒ですので、エジプト人の生活リズムの一つにイスラームの戒律があります。イスラーム教徒が守るべき義務、すなわち六信五行のうちの五行にあたるものが信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼となります。これらのうち断食と巡礼に関連するものが、全世界のイスラーム教徒が祝う祭り、すなわち断食明けの祭りと犠牲祭です。

 断食明けの祭りとは、イスラーム暦の第9月にあたる断食月、すなわちラマダンが終わった際の祭りです。祭りの日の朝、世界中のイスラーム教徒はまずイード礼拝へ向かいます。町の地区や村の成員がそろって礼拝用の広場や大モスクに集まり、集団礼拝を行ったあとにイマーム(指導者、説教師)の話を聞きます。礼拝が終わったあと、人々は新しい服を身にまとい、親族や隣人、友人のもとへイード(祭り)の挨拶へ行きます。日本でいうならば、新年の挨拶のようなものでしょうか。この祭りの際には、周囲の貧しい人々に特別な喜捨を与える習慣もあります。

 犠牲祭とは、イスラーム暦の第2月の10日から三日間行われるメッカ巡礼にあわせて祝われる祭りです。この祭りでは、各家庭が羊やラクダ、牛といった動物(羊が一般的です)を屠り、家族で食するとともに、肉の一部、三分の一ほどを貧しい人々へ寄付します。この祭りは旧約聖書における、イサクの犠牲の物語をもとにしており、イスラームの聖典である『クルアーン』ではイブラーヒーム(アブラハム)が神の命に従い息子イスマーイール(イシュマエル、旧約聖書ではイサク)を犠牲にしようとした瞬間、身代わりの犠牲獣が与えられたという物語になっています。

 このほかに、エジプトでは祝われるものの、他国では人気がない、あるいは禁止されている祭りとして、預言者ムハンマドの生誕祭というお祭りがあります。これは名前のとおり、預言者ムハンマドの誕生日(イスラーム暦第3月12日)を祝って催される祭りで、起源は11−12世紀、ファーティマ朝後期にもとめられます。初めは参加者が政府高官や宗教者に限られていたようですが、その後の王朝で民衆のお祭りとなっていきました。

 特徴としてはスーフィー教団を中心に預言者ムハンマドを讃える様々な儀礼やコーランの朗誦、預言者物語などのパフォーマンスが行われることで、この祭りの一ヶ月間には町や村の広場に娯楽施設や屋台が並びます。また、ファーティマ朝期にはこの祭りの際にカリフから政府高官へ砂糖が振る舞われていたのですが、この習慣の名残りでしょうか、エジプトではこの祭りの期間に砂糖でできた花嫁人形を女の子に贈る習慣があります。

 イスラームの法学者たちはこの祭りの存在自体は認めながらも、そこで行われる儀礼や行事の一部が非イスラーム的であるとして、批判することが多いです。これがエジプトでは人気のある祭りであっても、他国では現在あまり祝われない原因のようです。


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<預言者生誕祭の際の砂糖菓子>




(2)につづく


文学部 史学科 講師 辻 明日香




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2017年06月08日

花祭り―誕生仏立像の諸相―(3)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





第3回 東大寺誕生仏立像と大仏



奈良・東大寺には国内を代表する誕生仏立像が現存しています(前回の画像参照)。この像は奈良時代半ば、8世紀後半に造立されたと推定されており、金銅製で像の高さは47.5pもあり、国内の誕生仏立像のなかでは出色の大きさです。現在、香水を受ける灌仏盤とあわせて国宝に指定されています。この誕生仏立像は同じ東大寺の主尊としておなじみの大仏さまの完成前後につくられたと推測されています。

大仏は正式には盧舎那仏坐像といい、天平15年(743)に聖武天皇によって発願(大仏造立の詔)され、天平勝宝4年(752)4月9日に開眼供養会が行われています。この法会には聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇をはじめ僧侶や俗人などあわせて1万人以上が参加したと伝えられ、かつてない盛大な仏教行事となりました。

この大仏開眼供養もじつは花まつり、お釈迦さまの誕生日と関わりがあります。なぜなら、この法会の日付はじつは当初の予定から順延されたことが記録から知られており、本来は4月8日であったことが知られているからです。

さらにこの開眼供養の時点では、大仏はまだ完全に完成しておらず、台座や光背も揃っていない状態であったことが当時の文献から判明しています。では開眼供養を急いだのはなぜでしょうか。これには752年という年が深く関係しています。日本に初めて仏教が伝えられた年代は諸説ありますが、『日本書紀』は欽明天皇13年(552)としています。この年を踏まえると、大仏の開眼供養が行われた752年は仏教伝来から200年目に当たるのです。大仏の開眼供養はこの大きな節目の年の、お釈迦さま生誕の日にあわせたのだと考えられています。




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東大寺大仏





【参考文献】
吉村怜「東大寺大仏開眼会と仏教伝来二百年」『美術史研究』9号、1972年


文学部 日本文化学科 講師 真田 尊光




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