2019年02月24日

明治日本における翻訳・翻案 ― イギリス文学を中心に (2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学




1.2 明治時代の名(迷)翻訳

英語圏以外の翻訳作品を含めると、明治時代にはそうそうたる面々が並ぶ。明治21年(1888年)には二葉亭四迷によるツルゲーネフの『あひびき』『めぐりあひ』が、明治25年(1892年)には内田魯庵によるドストエフスキーの『罪と罰』(未完)、同時期には森鴎外によるアンデルセンの『即興詩人』も翻訳が始まっている。

また、前後するが、明治23年(1890年)には若松賤子によるバーネットの『小公子』の連載が始まり、これが大人気を博して25年1月まで続く。明治29年には坪内逍遥によるシェイクスピアの『ハムレット』が世に出る。(補足だが、シェイクスピアの翻訳で名高い逍遥が全訳を表舞台に出すのは明治40年代以降となる。)
さらに、「翻訳王」森田思軒、「翻案王」黒岩涙香らジャーナリズム出身の翻訳者が大活躍したのも、明治20年代である。

「翻訳王」森田思軒の主な仕事は、ヴィクトル・ユゴーの『探偵ユーベル』(明治22年)を筆頭として、ジュール・ヴェルヌの『鉄世界』『十五少年』(十五少年漂流記)、エドガー・アラン・ポオの『間一髪』(陥穽と振り子)など、有名どころ満載だ。「郵便報知新聞」に所属しその編集に携わったジャーナリストであると同時に、翻訳の仕事もこなしていたこの思軒について、前述の鴻巣友季子は次のように述べている。

思軒の場合は英文書以外はすべて英語からの重訳だったが、漢文の素養をいかした「漢七欧三」と呼ばれる原文に忠実な訳で、日本の翻訳にひとつの大きな流れをつくった。当時はまだ翻訳といっても、大胆な翻案や乱暴な抄訳が多く、「乱訳・豪傑訳の時代」と称されていたのだけれど、思軒の周密な、現代の翻訳に近い「直訳」は、文字どおり当時の翻訳の文体に大変革をもたらしたのだ。
(鴻巣友季子,『明治大正 翻訳ワンダーランド』p.19)

森田思軒の名は現代人にはあまり知られていないが、我々が翻訳作品を楽しみ理解する、という翻訳文化の基礎をつくったのは、ほかならぬ森田思軒だったということになる。知らないうちに、我々もその恩恵に与っている「翻訳王」なのだ。

一方、「翻案王」と称された黒岩涙香も、『萬朝報』を発行したジャーナリストという素地を持つ。明治25年に名高い『鉄仮面』を翻案して世に出したのち、明治34年には、デュマによる『巌窟王』(『モンテ・クリスト伯』)、明治35年にはユゴーの『噫無情』(『レ・ミゼラブル』)を翻案している。

デュ・フォルチェネ・ボアゴベによる『鉄仮面』(原題は『サン・マール氏の二羽のツグミ』)は、涙香の翻案によって日本で絶大なる人気を博したといっても過言ではない。ボアゴベの原作は「ルイ14世治下のフランスにいた、鉄仮面をかぶせられた謎の囚人」というモチーフを使った歴史小説で、デュマやユゴーにも同じ題材をあつかった作品がある。だが、涙香の『鉄仮面』では原作からかけ離れたストーリーが展開し、そもそも原作には存在しない場面も多くある。そして、原作に存在しなかった場面、展開こそ、明治の読者を捉えて離さない魅力があった。鴻巣友季子は涙香の『鉄仮面』についてこう述べる。

「翻訳者」にとって、筋立てのこうした改竄は必然のものであり、あのハッピーエンドこそが正史だったのだろうか……。

現代の翻訳界ではとうてい考えられない(著作権法からいっても許可されない)荒業だが、この手直しのおかげで、『鉄仮面』がこの国で多くの読者をつかみ、その結果、末永く読みつがれるようになった(百年あまりを経て新訳が出るほどに)のもたしかだろう。 (鴻巣,『翻訳ワンダーランド』,p.57)

読者を楽しませる、エンターテインメントとしての翻案だったことは確かである。また、「当時の新聞は掲載する小説・読み物の人気・不人気で売り上げ部数が激変した」(鴻巣, p.58)ことは現代と大きく事情が異なっている。涙香は『鉄仮面』を自身の発行した『萬朝報』で連載していたが、この連載後、『萬朝報』の売り上げは激増した。

明治時代に登場した、新聞という新しいメディアを得て、涙香は自由自在に活躍した。当時の新聞は、リアルタイムで自身の信条を(形式は変わるが)訴えることのできる媒体だったと言えよう。「荒業」と称される黒岩涙香の仕事だが、大勢の読者に自分の仕事を読んでもらうことで自分の信じるところを知ってもらう、という目的があった。だからこそ、おもしろくなければ読んでもらえない、という立場をとったのだ。

いずれにせよ、「翻訳王」の森田思軒と「翻案王」の黒岩涙香の二人が、それぞれジャーナリストであったことは注目に値する。明治における翻訳、翻案とはすなわち、読者という一般大衆と密接に関わる新しいメディア=新聞を活動の舞台として世に出たと言えるからだ。次章では、まず、明治初期に広く読まれた自己啓発本の翻訳と、この新しいメディア=新聞で、そしてもう一つの新しいメディアである雑誌でそれぞれ翻訳、翻案された作品について分析する。

(3)につづく


文学部 国際英語学科 準教授 小泉 朝子





posted by 園遊会 at 10:45| Comment(0) | 明治維新150年