2019年10月10日

中世史家の見たフランス革命(5) 中世史家の見たフランス革命(5)

地域ともに活躍する川村学園女子大学

5.革命の第3ステージ:拒絶と排除

 革命家は自らの理念・ユートピアを実現するために、教育の重要性を主張します。国民の幸福に直結するユートピア的教育が拒絶されると、その理由が理解できません。そこで反革命家の陰謀ではないかと考えます。疑心暗鬼が監視・告発による恐怖政治を生み、それが一般の抵抗を強化するという悪循環を生み出してしまいます。

 旧制度に代わる新しい社会は自由で平等な個人の結合によって成り立つ「国民」共同体になるはずでした。それを建設することは、理論的に言って「国民」に含まない、含めることができない異質なものを排除することが前提となります。しかしこうした独善的で押しつけがましい社会改革に対する嫌悪や拒絶もまた当然生まれてくるでしょう。つまり自ら異化し、距離を置こうとする個人も現れるはずですが、革命はひたすら同化を求め、離脱も反発も許さないのです。

 革命は89年7月には国民から貴族を排除しました。翌90年7月には聖職者市民法によって国民から教会とカトリック信者を排除し、同年11月27日には全聖職者に「国民と法と国王に忠実」であることを誓約させました。当然ながら、ローマ教皇ピウス6世はこの聖職者市民法に反対を表明しますから、フランスの教会は革命を支持して一体化するグループと教皇を支持して敬虔なるカトリックであり続けようとするグループに分裂することになります。実際にこの法に従って市民であることを誓約したのは聖職者議員の約3分の1に相当する100人超で、そのうち司教は2名だけでした。フランス全体では聖職者の約半数が宣誓を拒否しましたが、特に西部と北部に拒否する者が多かったと言われます。聖職者として教皇に忠実であることと、フランス国民として誠実であることと、二つは両立し得ません。苦悩の末に宣誓を拒否し、聖職者の立場を優先させた司祭に一般の信者はむしろ強い共感を持ったはずです。ところが宣誓拒否者は社会改革を阻害するとして、反革命の側に追いやられ、弾圧されてしまいます。こうして「聖職者市民法」は国民全体を革命派か、反革命派か、いずれかに二分し、対立させることになります。

 92年4月20日、対外戦争の敗北が決定的となりますが、その原因を客観的に分析するのではなく、裏切りや陰謀にあるとして、敵か味方かの二分法で全てを乗り切ろうとします。

 93年2月24日、国民公会は共和国軍強化のために30万人の徴兵を決議しますが、全国でこの徴兵を忌避する動きが表面化します。特に西部のヴァンデ地方では農民と織布工が白地に十字のマークをつけてカトリック王党軍に参加。共和派の拠点を襲撃するまでに激化しました。ところが国民公会はこの動きを旧制度社会再建をめざす特権貴族の陰謀としか見ないのです。徴兵反対には革命に賛成か反対かという理念論争とは全く次元の違う個人的・具体的な理由があるはずです。89年7月の時点では農民は革命に好意的でした。領主権や十分の一税の廃止を喜びましたが、翌90年の聖職者市民法以降、日常の激変を経験して革命(政府)に敵対するようになりました。ところが国民公会の議員は国民の一体化という信念に取りつかれていて、この農民の動向を理解できません。93年、革命は一部の農民に反革命のラベルを貼り付けて、国民から排除することになります。貴族、聖職者、農民、と、こうして革命は排除を繰り返していきます。政策に対する反乱や抵抗という行動は何らかの意味で地方の現実を反映しているはずで、革命か、反革命か、という二分法だけでは理解できるはずもありません。

(8)に続く

文学部 史学科 教授 金尾 健美






posted by 園遊会 at 13:48| Comment(0) | 明治維新150年