2020年01月26日

中世史家の見たフランス革命(7)

地域とともに活躍する川村学園女子大学






7.革命の終わり

 1794年7月27日ロベスピエール派を逮捕(テルミドール9日の反動)。翌28日処刑。こうして恐怖政治は終わりを告げます。アナトール・フランスの『神々は渇く』という小品を御存知でしょうか。恐怖政治期を扱った文学作品です。

 1795年8月22日に共和暦3年憲法(本文377条)が公布され、同時に革命政府は解体されました。新憲法は独裁防止・権力分散を重視して、制限選挙による2院制議会(500人会と上院)に立法権を託し、10月には総裁政府(シェイエース等5人が担当する行政府)を設立。こうして出来上がった新体制は革命によって土地を手にした新自営農が支持しました。同10月にパリで王党派の暴動が発生しましたが、総裁政府の指示の下、ナポレオンが率いる軍によって鎮圧されました。登場しましたね。

 96年5月10日、独自の共産主義的思想を持ったバブーフの陰謀が発覚し、彼の結社のメンバーは全員逮捕され、翌97年5月27日に処刑されます。さらにイギリスの小ピットの指導で第2回対仏大同盟が結成され、フランス国内政治も、諸外国との交渉も、なかなか安定せず、99年11月9日(ブリュメール18日)ナポレオンがクーデタを決行し、総裁政府を倒し、新たに統領政府を樹立しましたが、これは事実上の軍事独裁政権でした。普通、この独裁政権樹立をもって、フランス革命は終わったと理解します。


おわりに

 何度も繰り返したくはないのですが、革命は何を破壊し、何を生み出したのでしょうか。旧制度社会の構成原理、つまり個人を包み込む多様な社会集団に特権、あるいは自由、を与えつつ王の権威の下に繋ぎとめ、序列化するという基本原理を徹底的に破壊して、個々人をむき出しにしてしまう。その上で、如何なる特権も、如何なる肩書きも持たない自由で平等な個人を「市民」と定義して、これこそ新しい社会構成の基本単位とするのですが、そのような市民に与える唯一の属性が「国民」なのです。したがって「国民」集団を革命は死守し、それに馴染めず、異化する個人は徹底的に排除しようとします。特権を捨てられない貴族、カトリックを捨てられない聖職者、国民の防衛に協力せず、徴兵を忌避する農民、こうした革命の理念実現に抵抗する人々を革命は決して許さないのです。

 このように考えると、人権宣言を生み出した革命が理想の実現を求めて逸脱を排除し、恐怖政治に突入していくことも、また王政か共和政かという政治体制の選択が決して主題ではないということも、良くお分かりいただけるのではないかと思います。絶対君主を打倒して自由と平等の社会を実現することが革命なのではなく、「しがらみ」だらけの古い社会を解体して、個体差の無い国民国家を創出することがフランス革命の根本である。と、西洋史研究者はフランス革命をこのように理解しています。



(本稿は川村学園女子大学 公開講座の一環として2018年10月27日に行った講演に加筆したものです)


参考文献
・松浦義弘『フランス革命の社会史』山川出版社1997年.
・立川孝一『フランス革命―祭典の図像学』中公新書1989年.
・二宮宏之「フランス絶対王政の統治構造」『全体を見る目と歴史家たち』所収 平凡社1995年.
・谷川稔『十字架と三色旗』岩波現代文庫2015年(山川出版社1997年)
・アレクシス・ド・トクヴィル『旧制度と大革命』ちくま学芸文庫1998年.

文学部 史学科 教授 金尾 健美






posted by 園遊会 at 12:26| Comment(0) | 明治維新150年