2014年09月22日

アレクサンドロス大王が目指した帝国(2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





第2回 後世のアレクサンドロス評価

 アレクサンドロスは、大帝国を築き上げた古代ローマの政治家・軍人によって高く評価され、理想的な支配者と
見なされていました。

かのユリウス・カエサルも若いときに「アレクサンドロスが多くの民族の王となった年齢に達しても自分は
なにも華々しい功績をあげていない」と嘆いたそうです。




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 彼の後継者オクタウィアヌス(のちのアグストゥス)も、エジプトのアレクサンドリアで大王の柩と遺体を見て
敬意を表しました。しかし続いてエジプトを支配したプトレマイオス朝の諸王の遺体も見たいかと尋ねられると、
「私が見たかったのは、王であって死んだ者ではない」と答えています。

つまり、アレクサンドロスのみが王に相応しい功績をあげ、敬意が払うに値すると考えていたわけです。
軍事的な成功こそが個人の名を上げ、国を富ませると考えていたローマ人にとって、評価されるべき功績とは
軍事的な成功だったのです。




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 時代がはるかに下って、近現代ヨーロッパの歴史家たちもアレクサンドロスを高く評価しましたが、
彼らは「ヨーロッパ人がアジアに大帝国を打ち立てたこと」に積極的な意味を見いだしました。

19世紀プロイセンの歴史家ドロイゼンは、世界帝国を打ち立て、ギリシア文明を広め、東西民族を融合させた人物
としてアレクサンドロスを評価しました。

20世紀前半にイギリス人研究者のターンは、アレクサンドロスを「人類は同胞である」という理念の実現に努めた
人物と見なしました。

 このような評価は日本にも伝わりましたが、私たちの目から見ると、西洋の歴史家たちも彼らが生きた時代の
影響を受けていたと言わざるをえません。

19世紀のドイツは国家の統一を課題としていましたし、西洋列強はアジアへの進出と植民地支配を肯定的に捉える
(あるいは正統化する)ための先例を求めてかもしれません。20世紀になり国際協調が求められた時代には民族融和を
実現した人物としてアレクサンドロスが理想的に描かれたのでしょう。

 私たちも時代の子ですので、過去の人々よりも客観的だとは必ずしも言えませんが、軍事的な才能を発揮し、
高邁な理想を実現した支配者像から距離をおいたとき、アレクサンドロスをどのように描くことができるのでしょうか。

次回と次々回では、それぞれ遠征の動機と支配のやり方という2つのトピックについて史料を紐解きながら考えて
みましょう。




(3)につづく




文学部 史学科 講師 高橋亮介






posted by 園遊会 at 14:09| Comment(0) | シリーズ「東と西の物語」
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