2014年10月08日

アレクサンドロス大王が目指した帝国(4)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





第4回 支配の現実

 アレクサンドロスの将兵たちが、彼に不満を抱いたのは飽くなき前進の命令だけではありませんでした。
ペルシア帝国を滅ぼした後、アレクサンドロスはペルシア王の装束を身にまとい、豪勢な宮廷生活をし、
マケドニア人を含めた臣下に平伏して自らを崇めさせようとしたと伝えられています。

これに対して将兵たちは不満の色を隠さず、「王は勝利者というより敗者に似てきており、マケドニアの帝王から
ダレイオスの総督になってしまった」と述べるまでに到りました。

 その一方で、自分たちがペルシアの風習を受け入れるだけでなく、現地人にもギリシアのやり方を真似させることで、
アレクサンドロスは円滑な統治が可能になるとも考えました。彼は現地の若者たちにギリシア語を習わせ、
ギリシア風の戦術を学ばせました。

さて古参の兵士たちにいよいよ故郷への帰還が許可されたとき、彼らは自分たちがお払い箱にされ、若い兵士たちに
取って代われると感じ不満を表明します。インドで従軍を拒否した際に兵士たちは生きて故郷に帰ることを強く
望んだのですから、彼らの不満は一見おかしくも思えますが、ここではアレクサンドロスが彼らとともに帰国しようと
しないことに注目すべきでしょう。

 兵士たちの非難にアレクサンドロスは激怒しますが、数日後に両者は和解します。アレクサンドロスを批判した
兵士たちは、「自分たちはペルシア人とは別の人間であり、一時的に兵士あるいは略奪者としてアジアに来たのだ」と
いう意識を常にもっていたようです。こうした視点からはアレクサンドロスの行動は理解しがたいものだったのでしょう。

しかし、アレクサンドロスは支配者として自らの地位を確立し、力の源泉である兵力をいかに維持するかを現実的に
考えなければなりませんでした。その結果が必要とされたペルシアの伝統を受け入れ、若い兵士を育成することだった
のでしょう。こうした点を鑑みると、ここでは兵士の視野は狭く、アレクサンドロスの方が先を見据えた、大局的な
判断をしていたと言えるでしょう。

 とはいえ、アレクサンドロスはアジアの統治に自覚的になっていたにせよ、アジアの文化を理解し、文明・民族の
融合までを目指していたとするのは行き過ぎのようです。ここではアレクサンドロスの限界を示す1例を挙げるに
とどめます。

部下たちとの和解後に開かれた祝宴では、マケドニア人とペルシア人が力を合わせて支配にあたることが
祈られましたが、大王の周りをまずマケドニア人が、次いでペルシア人が座ったとされており、2つの民族のあいだには
序列があったのです。

 今回は限られたトピックしか触れられなかったため、アレクサンドロスを全体として評価することは断念せざるを
えません。ですが幸いにして古代に書かれた彼の伝記は日本語で読むことができ、日本人研究者による優れた研究も
あります。皆さんも、これらを手に取って自分なりの大王の姿を描き出してはいかがでしょうか。

                                            了


史料・参考文献
クルティウス・ルフス(谷栄一郎・上村健二訳)『アレクサンドロス大王伝』京都大学学術出版会、2003年
アッリアノス(大牟田章訳)『アレクサンドロス大王東征記』(上・下)岩波書店、2001年
プルタルコス(村川堅太郎編)『プルタルコス英雄伝』(上・中・下)筑摩書房、1996年
スエトニウス(国原吉之助訳)『ローマ皇帝伝』(上・下)岩波書店、1986年
澤田典子『アレクサンドロス大王:今に生き続ける「偉大な王」』(世界史リブレット人5)山川出版社、2013年
森谷公俊『アレクサンドロスの征服と神話』(興亡の世界史1)、講談社、2007年




文学部 史学科 講師 高橋亮介





posted by 園遊会 at 14:33| Comment(0) | シリーズ「東と西の物語」
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