2014年12月01日

『古寺巡礼』と『イタリア古寺巡礼』― 和辻哲郎の二つの旅行記 ―(1)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





                         
【1】 和辻哲郎の生涯と二つの旅行記



 公開講座では、近代日本の代表的哲学者和辻哲郎の二つの旅行記を取り上げ、それらの魅力についてお話しました。ここでは、そのエッセンスを簡単にまとめてお示ししたいと思います。【1】では、和辻哲郎の生涯と事績を紹介し、その中に二つの旅行記を位置付けます。

 まずその生涯ですが、和辻哲郎は1889年(明治22年)に兵庫県で生まれ、1960年(昭和35年)に`東京で亡くなっています。旧制第一高等学校入学のために東京に出てきて以降、途中10年弱京都で暮らした時期(ただし、その間に1年半ほどドイツ留学のためのヨーロッパ滞在)を除けば、大方は東京の近辺に暮らしたことになります。

東京に出てきてからしばらくの間は、哲学の勉学のかたわら文芸評論の執筆などにも熱中し、谷崎潤一郎ら文人との交友を持ちます。20代の和辻は漱石山房にも出入りし、晩年の夏目漱石の知遇を得ますが、その頃の和辻は文芸で身を立てるか学者の道を選ぶか、つまり美と倫理のどちらを選ぶか、その岐路に立っていました。若き和辻はいっぱしの文人でもあったわけですが、『古寺巡礼』は、そうした迷いの中にあった青年時代の最後の時期に和辻が友人とともに奈良へ旅をした際の印象をもとにして書かれたものです。

 『古寺巡礼』は1919年(大正8年)に出版されますが、その翌年に和辻は東洋大学教授に就任し、学者としての本格的な活動に入ることになります。その後、彼は京都帝国大学、東京帝国大学で教鞭をとり、東京大学退官後には日本学士院会員、日本倫理学会会長などを歴任、1955年(昭和30年)には文化勲章も受章しました。

 こうした経歴を見れば、学問の道に精進し学者として大成した碩学という和辻像がおのずから浮かび上がってきます。学者としての和辻には、日本文化史や比較文化論を扱う文化史家としての顔と、「人間」の「間柄」の理法としての倫理という着想を基盤として体系的倫理学の構築をした倫理学者としての顔という二つの顔があります。和辻哲郎は、このどちらの分野においても現在なお読むに値する高い業績をのこした哲学者として広く認知されています。彼の学問的な姿勢、つまり日本の文化的伝統に関する深い造詣を根底にして西洋の人文系の学問と格闘し、そのうえで独自の道を模索するというそのスタンスは、分野は違いますが漢文学の素養を背景として英文学と格闘した夏目漱石、また禅の伝統を背景に独自の哲学的思索を模索した、近代日本のもう一人の代表的哲学者西田幾多郎などと共通しています。

 さて、『古寺巡礼』と『イタリア古寺巡礼』は、このようなスタンスで学者としての生涯をおくった和辻が書いた旅行記です。『古寺巡礼』の成立の経緯についてはすでに触れましたが、『イタリア古寺巡礼』は上述したヨーロッパ滞在中のイタリア旅行の際の妻への手紙をもとにして編まれたものです。これら二つの旅行記の魅力はどのようなものか。次回以降はそうした話題に移ってゆきます。




1_和辻哲郎の写真 縮小.jpg



(写真・60才頃の和辻哲郎)



(2)につづく



文学部 日本文化学科 教授 湯浅 弘
 
(哲学・比較思想)





posted by 園遊会 at 16:46| Comment(0) | シリーズ「東と西の物語」
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