2014年12月11日

『古寺巡礼』と『イタリア古寺巡礼』― 和辻哲郎の二つの旅行記 ―(2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学




【2】 美の巡礼としての『古寺巡礼』



前回触れたように、『古寺巡礼』は青年時代の和辻の奈良旅行をもとにして書かれたエッセイです。その旅行の主な訪問先は、奈良の博物館の他、新薬師寺、浄瑠璃寺、東大寺、法隆寺、唐招提寺、法華寺、薬師寺、当麻寺、中宮寺などの仏教寺院で、和辻の関心は行く先々の古美術、それも特に仏像に向けられています。青年和辻の『古寺巡礼』は、宗教的意味での巡礼ではなく、仏像を中心とした古代美術をめぐる美の巡礼であったのです。

 古代の仏教美術に和辻が関心を向けるようになったきっかけの一つは、学生時代に和辻が岡倉天心の古美術に関する講義を聞いたことにあったと言われています。また若い頃からの和辻の美術趣味は、妻の友人の縁で、横浜の大貿易商で茶人でもあった原三渓に手ほどきを受けたものだという話も伝えられています。こうしたエピソードからは、日本の古代美術に対する熱い思いをつのらせていった青年和辻の姿が鮮やかに浮かび上がるかのようです。

 美術作品に限らず、飛鳥・白鳳・奈良の古代文化にこの時代の和辻は強い関心を抱くようになり、その研究を進めていました。『古寺巡礼』出版の翌年に上梓された『日本古代文化』は、そうした研究の産物ですが、以上をまとめれば、古代文化への熱い情熱と深い造詣に裏打ちされた美の巡礼の記録、それが『古寺巡礼』だったと言えましょう。

 では、その美の巡礼の記録は、具体的にはどのようなものだったでしょうか?ここからは『古寺巡礼』の叙述を紹介して、そのさわりを見てみることにしましょう。

 まず、次の叙述は薬師寺の聖観音像を前にしたときの和辻の印象の叙述ですが、ここには聖観音像に出会うという実体験の様子と目の前の仏像の美に関するこまやかな観察、さらにはその体験に触発され、その体験を基点として動き始める和辻の思考の姿が描写されています。この一文を読むだけでも、『古寺巡礼』の雰囲気と谷川徹三が「イデーを視る眼」(和辻全集第二巻解説)と名付けた、事象の本質を直観する和辻の卓越した資質の一端が垣間見えることと思います。やや長いですが、引用します。



  わたくしたちは無言のあいだあいだに詠嘆の言葉を投げ合った。それは意味深い言葉のようでもあり、また空虚な言葉のようでもあった。最初の緊張がゆるむと、わたくしは寺僧が看経するらしい台の上に座して、またつくづくと仰ぎ見た。美しい荘厳な顔である。力強い雄大な肢体である。仏教美術の偉大性がここにあらわにされている。底知れぬ深味を感じさせるような何とも言えない古銅の色。その銅のつややかな肌がふっくりと盛りあがっているあの気高い胸。堂々たる左右の手。衣文につつまれた清らかな下肢。それらはまさしく人の姿に人間以上の威厳を表現したものである。しかもそれは、人体の写実としても、一点の非の打ちどころがない。・・(中略)・・もとよりこの写実は、近代的な、個性を重んずる写生と同じではない。一個の人を写さずして人間そのものを写すのである。芸術の一流派としての写実的傾向ではなくして芸術の本質としての写実なのである。
(和辻全集第二巻)





 さて、今回は以上の引用を味わっていただくことで終わりといたしたいと思います。



2photo_hotoke_seikannonbosatu.jpg



薬師寺東院堂聖観音像




(3)につづく

文学部 日本文化学科 教授 湯浅 弘
 
(哲学・比較思想)




posted by 園遊会 at 11:05| Comment(0) | シリーズ「東と西の物語」
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