2015年01月19日

シリーズ「音の世界を語る 色の世界を語る」

地域とともに活躍する川村学園女子大学





平安の調べを聴く −雅楽の響き− 

◆1

 日本の「伝統文化」として紹介されることの多い雅楽ですが、日本に渡来したころと比べると様々な点で大きく変わってきています。ここでは古代から現代までの雅楽の歩みをたどりながら、どこがどれくらい変わっているのか、変化の画期はいつなのか、変化した背景に何があるのかを考えていきます。




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"Gagaku 0372" by Antanana - Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons - http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gagaku_0372.JPG#mediaviewer/File:Gagaku_0372.JPG



 今日「雅楽」と呼ばれている音楽は、5世紀から8世紀にかけて様々な地域から伝わった渡来の音楽と、日本列島でそれまで演奏されていた在来の音楽とが混ぜ合わさって出来たものです。中国が内乱状態にあった時代、ヤマト朝廷は朝鮮半島から様々な先進文化を輸入しており、その一つに音楽がありました。5世紀半ばには新羅楽、6世紀初めには百済楽、7世紀前半には高麗楽が日本列島に入ってきます。唐が中国統一を成し遂げ、国際的な大帝国となると、7世紀末に唐楽が、8世紀初めにはロシア沿海部や東南アジアから林邑楽・度羅楽・渤海楽などが流入しました。



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 このように300年以上かけて段階的に流入していた音楽を、「雅楽」として一つにまとめたのは、8世紀にできた律令国家です。律令国家は、中国に倣って儀礼を重視していたため、儀礼のための音楽を国家的事業と位置付けました。雅楽寮というお役所では、400名以上の楽人が国家公務員として音楽の習得と演奏に励んでいたのです。
 その頃の雅楽の様子は『古楽図(信西古楽図)』からうかがうことができます。儀礼のための音楽ですから、野外演奏が主となります。そのため、楽人たちは立って演奏しています。また図の中には、今では使わなくなった楽器や、今とは異なる使い方の楽器が描かれています。


(2)につづく


文学部 史学科 講師 辻 浩和




posted by 園遊会 at 14:04| Comment(0) | 宇宙
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