2015年01月29日

シリーズ「音の世界を語る 色の世界を語る」(2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学



平安の調べを聴く −雅楽の響き−


◆2

 8世紀に始まった雅楽は、9世紀後半から10世紀にかけて、早くも第一の画期を迎えます。この時期、律令国家を支えていた税の仕組みがうまくいかなくなり、律令制の仕組みの多くが崩壊します。雅楽寮もこの波に巻き込まれ、人員削減と事業の整理縮小を余儀なくされました。今でいうリストラと事業のスリム化が行われたわけです。

この過程でまず不要な音階・楽器、不完全な楽曲が整理されました。前に述べたように、雅楽は300年以上かけて散発的に輸入されたものですから、体系化されておらず、未消化な部分を多分に残していました。延喜20(920)年、醍醐天皇は貞保親王に命じて『新撰横笛譜』を編纂させ、完全な形で演奏可能な曲目の楽譜集を作らせました。醍醐天皇と言えば勅撰和歌集である『古今和歌集』が有名ですが、同じ時期に勅撰楽譜集も作らせていたわけです。『古楽図(信西古楽図)』には現在使われていない楽器があると述べましたが、そのほとんどはこの段階で整理された結果使われなくなったと考えられます。

整理に伴って、部門の統廃合も行われました。全体を左右の2部制にし、左方に唐楽・林邑楽を、右方に高麗楽・百済楽・新羅楽・渤海楽をまとめました。


律令制の崩壊は、雅楽の性格にも変化をもたらしました。

律令制下の雅楽は儀礼のための音楽であり、官人(国家公務員)としての楽人たちによって演奏されていました。楽人たちの身分は官位でいうと6位程度で、あまり高くありません。10世紀以降、儀礼が縮小されるとはいえ、楽人たちは同じように儀礼音楽を奉仕し続けていきます。

一方、10世紀以降は天皇や公卿(3位以上)・貴族(5位以上)など、身分の高い人たちも雅楽を演奏するようになりました。これは新しい動きです。彼らが行ったのは、公的な儀礼のための演奏ではなく、私的な場で親睦を深めるための演奏でした。『源氏物語』などに「あそび」という言葉が頻繁に用いられ、「管絃の遊び」と訳されますが、この「あそび」が親睦のための演奏会にあたります。現代でいうと懇親会でカラオケをするのに似ているでしょうか。

背景には、律令制が崩壊したことによって政治の仕組みが変化し、天皇との私的な関係が重要視され、天皇の身内と側近が政治的な役割を果たすことになったという事情があります。平たく言うと、天皇とコネをもっている人間に有利な時代がやってきたのです。天皇の側近貴族たちは、天皇と一緒に雅楽を合奏することで、天皇との関係を深めるようになりました。「君臣和楽」のために雅楽が利用されるようになったわけです。




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"Rencontre du Genji Monogatari" by Anonym - Tokyo, Goto Museum. Licensed under Public Domain via Wikimedia Commons –
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rencontre_du_Genji_Monogatari.PNG#mediaviewer/File:Rencontre_du_Genji_Monogatari.PNG



このように、10世紀頃には雅楽の曲目・楽器・演奏組織が再編成され、雅楽の性格も大きく変わっていきました。雅楽の姿が変化した第一の画期と言えるでしょう。


(3)につづく


文学部 史学科 講師 辻 浩和






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