2015年03月18日

金色の夢―オリエントの失われた黄金

地域とともに活躍する川村学園女子大学






 古代オリエントのイメージと黄金

 古代オリエントとはギリシアからみて東のすべてつまりアジアといわれる地域であるが、彼らの地理感覚からいえば、せいぜい現在の中近東とエジプトなどの地中海南岸をさしたものであった。アジアにはギリシア人の植民都市もあり、交易や使節の往来、また戦争捕虜などでの人的交流には事欠かなかったが、一般の人にはやはり遠いところで、未知の神秘的かつ憧れの地であった。




古代オリエント1.jpg




ギリシア人はすでにアジアの地中海沿岸の各地に植民都市を築いていたが、直接アジアの大国と接したのは紀元前5世紀のペルシア戦争を挟んでのことだった。ペルシア戦争は一応ギリシア人の勝利に終わったことになるが、その後も、アジアの富裕さと巨大さはギリシア人を圧倒した。ギリシアの神話や伝説に痕跡を残しているオリエント世界は、理解の範疇を超え、想像を絶するほど豪奢な世界とされている。



 近代に入って盛んになった考古学的発掘の成果も、すぐれた金細工品や高度に発達した都市文明の遺跡など、これまでのオリエント観を確認するものであった。しかし過去に金を産出するといわれたオリエント各地のエジプトやアナトリアにおいて現在金は産出していない。掘り尽くしてしまったものと思われる。世界の金の現存量はほぼ17万5千トンといわれている。それほど希少とも思えぬ金はなぜ富と同一視されることになったのであろうか。

 金の特質はやはりその輝きであろう。それを美しいと見るかは個人の自由だが、光に目を奪われることからいえば目立つことは確かだし、太陽という生命の源とも同一視されうる。錆びにくいがために変質しにくいことから永遠とか永続性を象徴しやすい。さらに柔らかいため加工がしやすいので、あまり技術力がなくとも大小さまざまの装飾品や備品として作られる。金を手に入れることは富、権力などを取り入れることと同一視された。


 このような金に取りつかれた人の例は古来枚挙に暇がない。オリエントに関して最も有名なエピソードの一つはフリュギアのミダス王の話だろう。フリュギアはアナトリア半島の中央部にあった国でその首都はゴルディオンといわれた。その町の南部にトモロス山があり、そこからパクトロス河がゴルディオンにむけて流れていた。この山に金があり地震のあったのち金が河に流れ落ち砂金となって、パクトロス河でとれるようになったとみられる。このフリュギアの紀元前8世紀ころの王がミダス王であったという。ミダス王はバッカス神への特別なサーヴィスの結果望みをひとつかなえてもらえることになった。彼は金が大好きだったので、自分が触れるものがすべて金に変わるようにと願った。その力を楽しんでいた彼はおなかがすいても食物が金に変わってしまって食べられないことに遅まきながら気がついて(または、自分の娘を抱き上げようとしたとき、娘が金に代わってしまったので)、その力を取り除いてもらったというはなしである。




ミダス王の墓2.jpg



The Phlygian Tomb of Midas, Midas Sehri, 8th century B.C.





 ゴルディオンの砂金はまもなく金鉱からの採掘にうつったようで、近年のハーヴァード大学らの調査により、その採掘跡とみられる遺跡も発見されている。しかし精錬などの技術的な発展はいまだ解明されたとはいえない。



(2)につづく


教育学部 幼児教育学科 教授 山本由美子





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