2016年09月12日

「平安時代の政治手法や貴族の家族生活」(『清慎公記』・『蜻蛉日記』より) ー2016年 最終講義ー(3)

地域とともに活躍する川村学園女子大学






3. 平安時代の結婚は‘妻問い婚’でしょうか?



女性史の創始者ともいえる高群逸(たかむれいつ)枝(え)は、平安時代の貴族の結婚生活は、夫が妻のところに通う‘妻問い婚’が基本であると主張しました。また、平安時代はまだ母系制の影響が色濃く残っているので、子育てはすべて妻の家が担うこと、夫の生活にかかわる費用も妻の家が負担すること、女の子の婿選びは母親に発言権があることなど、家庭における女性の優位を強く述べました。さらに貴族社会では一夫多妻がふつうだが、大勢の妻たちの立場は対等であって、特に‘正妻’とよべる妻はいなかった、としています。女の立場が後の時代に比べるとまだまだ強かったと、高群は述べています。

私が女性史の研究を始めたばかりのころは、まだまだ女性には不利な社会状況でしたから、高群の本を読んでいると、そうだその通りだ、と感激する文章に出会います。しかし、何か腑に落ちないところもありました。

その第一は、『竹取物語』の翁(おきな)と媼(おうな)はいっしょに住んでいたのでは?『源氏物語』の葵上の両親、左大臣と大宮も一緒に住んでいるような、『落窪物語』の父親と継母も同居している、と物語の脇役たちのことを思い浮かべたからです。まだ年若い光源氏や在五中将といった主人公は、あちらこちらの女性のもとへ気ままに訪れて愛を語らいますが、彼らの背後にいる熟年の夫婦は、同じ屋敷に暮らしている、少女のころ読んだ物語を改めて読み直してみました。

また、研究を進めていくうちに、『大鏡』という歴史物語の家族や平安貴族の日記での妻たちの書き方、また、貴族の子どもたちのその後の活動などから、どうも高群のいう妻問い婚とか、平等な妻たち、は誤っているのではないか、と確信をもつようになりました。
その、解答を与えてくれた最初の資料が、『蜻蛉日記』です。

(4)につづく




川村学園女子大学名誉教授 梅村恵子
(元大学院人文科学研究科長)




posted by 園遊会 at 14:50| Comment(0) | 教育
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