2018年02月08日

「知の大陸」アフリカ―滅んだ栄華と復活への道 (その2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





2.アフリカという大陸



(1)アフリカは大きい

 【地図が生む錯覚と偏見】

 飛行機でロンドンから南アフリカ最南端のケープタウンに飛ぶと11時間40分かかる。これは英国航空が営業で使っている時間であるが、実はその英国航空はロンドンと東京も11時間40分で結んでいる。
 私たちが見慣れている世界地図はおおかたメルカトール図法に端を発するミラー図法であるから、アフリカ大陸は随分と小さく描かれている。これは地球が球であることを忘れさせてしまう2次元の図法であって、世界中の人々の世界観はここから歪みが始まるといっても過言ではない。しかし、2次元に「つぶした」球で世界情勢を見るのは不適切である。




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 多くの教室や事務所でこのような地図を見慣れていると思うが、ひとつの点にすぎない北極や南極がこの地図の右から左までの長さに引き伸ばされていることの意味、また球状にカーブしている南北の線を直線で表している結果何が起きているかを考えていただきたい。

 この地図から、ロンドン・ケープタウン間とロンドン・東京間が同じ距離に見えるだろうか。地球は丸い球であって2次元ではないことを、アフリカを考える時にはまず念頭に置いていただきたい。
 この地図からは信じられないかもしれないが、アフリカ大陸の面積は3037万㎢、南北は8000キロ、東西は7400キロである。そのアフリカ大陸に今日54の国がある。
 NASAによる宇宙から見た地球の写真を見るとこのことをより実感できるのではないだろうかる。




アフリカ2−2.jpg






(2)多民族・多言語国家とアフリカの多様性

 【広い国土とたくさんの民族、たくさんの言語】

 この大陸の中央部、赤道直下に広がるコンゴ民主共和国。2次元の地図で見るとせいぜいフランスとスペインを足した程度にしか見えないが、実は国を横断する距離はおおむねスペインのマドリッドから東欧のポーランドのワルシャワまでの距離に匹敵する。そのような広い地域に国土が広がっているので、そこに住む民族もさまざまである。言い換えれば、一つの国だと言うのに言葉は200以上あり、絞り込んだグループ別でも、キコンゴ語、リンガラ語、チルバ語、スワヒリ語があり、公式言語はフランス語である。公式言語ないし「公用語」。日本で、私たちの母語以外の言葉、例えばロシア語が「公用語」だと言われたら、何のことかさっぱりわからないと思うが、アフリカではそれが殆どの国で起きていることである。

 しばしばヨーロッパの開発論者や政治家、マスコミはアフリカの国家の一体性をめぐり、なぜアフリカ人は自分の国の「国家の一体性」を保てないのだ、とか、内戦をやめて民主主義を早く導入すればよい、とかコメントする。あえてこのようなヨーロッパ人の指摘に対して皮肉を述べれば、コンゴと大差ない面積に広がるヨーロッパは「1000年の間30年ごとに殺しあってきた」ではないか、マーストリヒト条約(1992年)でヨーロッパの一体性にたどり着いたのはその後だったではないか、と言いたくもなる。なお、この「ヨーロッパは1000年の間30年ごとに殺しあってきた」とは、1992年5月2日ヘルムート・コール・ドイツ首相がボンの首相府において訪独中の宮澤喜一総理(当時)に述べた言葉であり、筆者はその訪独に同行していた。

 そもそも、アフリカにおける国家の一体性を根底からひっくり返したのはヨーロッパの侵略とアフリカの分割である。ヨーロッパ人たちはアフリカの王国の国境、言語分布、歴史に一顧だにすることなくヨーロッパ人だけで談合して自分たちの勢力圏を決めたのであった(1884‐85年のベルリン会議)。


 【アフリカの多様性】

 他方、これだけ広い大陸であるから、アフリカは多様である。「アジア」とヨーロッパ人が名付けた地域には日本もインドもイランも含まれている。サッカーの「ドーハの悲劇」がなぜ起きたかといえば、ドーハがあるカタールも日本もアジアに分類されているからであるが、カタールやサウジアラビアやイランがアジアだと聞いて正直なところきわめて不思議な気がしないだろうか。

 「アフリカは一つ」という考えは政治的には「汎アフリカ主義」が背景にあるが、しかし、実際は同じ「アジア」に属する日本とイランがとても異なっているように、アフリカにはとても異なる国が存在している

 そもそも、「アジア」とか「アフリカ」という呼び名は西洋の歴史の中で生まれてきたものであった。近世以降における展開を考えると、世界を制覇した大英帝国で地理学が発展したこととも関係がある。ロンドン近郊にグリニッジという場所があってその町に古い天文台がある。天文台の横には帆船カティー・サーク号が停泊していて大英帝国全盛の時代を想起させるが、そのような時代に世界の時間の基準をグリニッジ標準時と定め、また世界の地点を規定する方法として東西に走る線を緯度、南北に走る線を経度と定め、そして世界の中心としてグリニッジ天文台を通過する北極から南極までの直線を0度とした。その上で、球状の地球を360度で規定し、グリニッジ天文台から東を東経、西を西経と定めた。その結果、日本の標準時の明石市は東経135度に存在し、グリニッジから東回りでも西回りでもちょうど180度になる太平洋の真ん中が東経180度かつ西経180度となり、そこで日付が変わるのである。日本が「極東―Far East」にあると言われるのも同じ理由による。読者の皆さんが周知の事実をくどく書いた理由はここにある。すなわち、歴史のみならず、地理もある時点の勝者が書き、そのような観点からの判断が後世も続くということの典型例だからである。


(3)につづく
(出典、「『未解』のアフリカ」、石川薫、小浜裕久、勁草書房)




文学部 国際英語学科 特任教授 石川 薫





posted by 園遊会 at 10:09| Comment(0) | 知の旅人
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