2018年08月20日

光源氏の行方をたどって(3)

地域とともに活躍する川村学園女子大学







3.『狭衣物語』と「光源氏」(1)〜自分を重ね合わせるキャラクター〜

 そんな『狭衣物語』ですが、次のように始まります。
(なお、本文の引用は小学館の新編日本古典文学全集を用います。『狭衣物語』は現存している諸本の本文異同がとても多くなっています。そのため、身近に手に取ることができるものでも、今回引用する小学館の全集の本文と、新潮社の日本古典集成の本文では、かなりの違いがあります)

【本文】

少年の春惜しめども留らぬものなりければ、三月も半ば過ぎぬ。御前の木立、何となく青みわたれる中に、中島の藤は、松にとのみ思ひ顔に咲きかかりて、山ほととぎす待ち顔なり。池の汀の八重山吹は、井手のわたりにやと見えたり。光源氏、身もなげつべし、とのたまひけんも、かくやなど、独り見たまふも飽かねば、侍童の小さきして、一房づつ折らせたまひて、源氏の宮の御方へ持て参りたまへれば、御前に中納言、少、中将などいふ人々、絵描き彩りなどせさせて、宮は御手習せさせたまひて、添ひ臥してぞおはしける。


【訳】
少年時代のような春は惜しんでも止まってくれないものだから、三月も半ばが過ぎてしまった。お庭の先の木立が、何となく青々としてくる中に、池の中島の藤は、松にだけまとわりつくものだと思っているような顔をして咲きかかっていて、山ほととぎすを待っている顔だ。池の水際の八重山吹は、山吹の名所である井手のあたりかと思うほどに見える。「光源氏が『身も投げつべし』とおっしゃったのも、こんなふうだったのかな」と、独りでご覧になるのももの足りないので、お仕えしている童で小さい子を使って、藤と山吹を一房ずつ折らせなさって、源氏の宮のお部屋へ持参なさると、源氏の宮の前では中納言、少将、中将、などという女房たちに、絵を描き色塗りなどさせて、宮はお習字をなさって、ものに寄りかかっていらっしゃる。



このように、冒頭から「光源氏」が登場するのです! ここでは、狭衣が庭を眺めながら、「光源氏が『身も投げつべし』とおっしゃったのも、こんなふうだったのかな」と思っています。つまり『狭衣物語』は、主人公が、光源氏に思いをはせるところから始まっているのです!


それから、巻2です。巻1のヒロインであった飛鳥井女君は海に身を投げてしまいました。狭衣は、道成から形見の扇を手に入れます。この扇は、狭衣が道成への餞別に贈ったものだったのですが、飛鳥井女君はこれを見て道成が狭衣の家来であることに気づき、絶望して死を選んでしまったのでした。この扇を狭衣が見るのが、次の場面です。

【本文】

この扇は見知りたりけるなめり、あはれ、いかばかり思ひけんと思しやらるる涙の水脈になりぬべし。
唐泊底の藻屑も流れしを瀬々の岩間もたづねてしがな
かひなくとも、なほかの跡を見るわざもがなと思せども、心にまかせぬありさまなれば、いかがは。光源氏の須磨の浦にしほたれわびたまひけんさへぞ、うらやましうぞ思されける。

【訳】
この扇は私のものだと見知っていたに違いない。可哀想に、どれほどの思いだっただろうと、思いをはせる涙が海流のようになってしまいそうなほどだ。
唐泊の水底の藻屑となって流れていったのを、浅瀬の岩間もたずねていきたい
甲斐がなくても、やはりその入水してしまった後の白波を見る手立てがほしいとお思いになるが、心のまま自由にできる身ではないので、どうしようもない。光源氏が須磨の浦で涙にくれてわび住まいをなさっていたことさえも、うらやましく思われるのだった。



 またもや「光源氏」と、はっきりと名前が出ています。光源氏には須磨に流謫するというエピソードがありますが、狭衣は飛鳥井女君の入水した地に行きたくても気軽に行ける身ではないので、「光源氏が須磨の浦で涙にくれてわび住まいをなさっていたことさえも、うらやましく思われる」わけです。冒頭と同じように、やはり光源氏に思いをはせて、自分を重ね合わせていますね。


 そして、物語の最終盤にも「光源氏」は出てきます。巻4で狭衣は飛鳥井女君の遺品の絵日記を受け取ります。それは、次のような場面です。

【本文】

ありつる唐櫃を引き寄せさせたまひて、「これや、昔の跡ならん。見れば悲しとや、光源氏ののたまはせたるものを」とはのたまはすれど、御覧ずるに、自ら描き集めたまへりける絵どもなりけり。

【訳】
置いてあった唐櫃を引き寄せなさって、「これが、あの人の筆跡なのだろうか。『見れば悲しい』と、光源氏がおっしゃっていたものを」などとおっしゃるが、ご覧になると、飛鳥井女君自身が描き集めておいでだった絵の数々なのであった。



ここでも、やはり光源氏に思いをはせているのです。ちなみに、「『見れば悲しい』と、光源氏がおっしゃっていた」場面は、『源氏物語』の幻巻のことでしょう。光源氏が亡き紫の上の手紙を処分しようとする場面です。ただ、そこで光源氏が詠む和歌は、「かきつめて見るもかひなし藻塩草おなじ雲居の煙とをなれ」と、「見れば悲し」ではなく「見るもかひなし(=見ても甲斐がない)」なのです。『狭衣物語』のミス、と考えることもできますが、あくまで狭衣のセリフの中ですし、もしかしたら意図的に変えたのかもしれません。
幻巻の光源氏はもう最晩年。自らも出家に向かって身辺の整理をしていくなかで紫の上の手紙を見て、「見るもかひなし」と燃やしてしまいます。しかし、同じ物語の終盤とはいえ狭衣はまだ20代後半の青年です。光源氏とは対照的に、「見れば悲し」と言いながらも絵を見て、やがてすき返して経典にします。光源氏を引用するからこそ、その違いが明確に浮かびあがる表現と言えるかもしれません。



ともかく、物語の冒頭から最終盤にいたるまで、狭衣は3度にわたって光源氏に思いをはせ、自分と重ね合わせているのです。

(4)につづく


文学部 日本文化学科 講師 千野 裕子






posted by 園遊会 at 14:05| Comment(0) | 知の旅人
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