2019年04月18日

明治日本における翻訳・翻案 ― イギリス文学を中心に(4)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





2.2 欧米文化を理解するための翻訳---バーネット『小公子』(1897年)

イギリス生まれだがアメリカに渡って活躍した女性作家、F. H.バーネットのLittle Lord Fauntleroy (1886)は、雑誌で発表されるや否や、アメリカ、イギリスで人気を博した子ども文学の名作である。主人公セドリックがその言動を通じて、「アメリカ」と「イギリス」の架け橋となり、英米の融和を象徴的に描いたとされるこの作品では、清く、正しく、美しい主人公、セドリックが理想の子どもとして際立った存在感を示している。セドリックの端正な服装も物語の重要なカギとなっており、大きな意味を持つ。

バーネット版の特徴は、「天使のような子ども」を意図的に提示していることにある。これはロマン主義の子ども観(=無垢なこども、こどもの神性を強調)の影響を受けた一般読者をターゲット層として想定しているための戦略と考えられるが、この「天使のような子ども」が英米の読者の圧倒的な支持を得た。セドリックの服装も流行し、かわいらしい挿絵で描かれた、濃い色のビロードの服に大きなレースの襟のついた“Fauntleroy suit”は、この時期の子ども服の一つの特徴をなしている。

このLittle Lord Fauntleroyを明治20年に『小公子』と題して雑誌『女学雑誌』上で翻訳し始めたのが、若松賤子である。その滑らかな口語調の翻訳は自然で読みやすく、「翻訳王」森田思軒も「言文一致の極致」として絶賛しているほどだ。若松は、「天使のような美しい子ども」を翻訳においても再現する。以下に原文と邦訳文を併記する。

[Mr Havisham] recognized in an instant that here was one of the finest and handsomest little fellows he had ever seen. His beauty was something unusual. He had a strong, lithe, graceful little body and a manly little face; he held his childish head up, and carried himself with quite a brave little air; he was so like his father that it was really startling; he had his father’s golden hair and his mother’s brown eyes, but there was nothing sorrowful or timid in them. They were innocently fearless eyes; he looked as if he had never feared or doubted anything in his life. ‘He is the best-bred-looking and handsomest little fellow I ever saw,’ was what Mr Havisham thought. what he said aloud was simply, ‘And so this is little Lord Fauntleroy.’ (Little Lord Fauntleroy, pp.24-25)

さて、かくまで非常にハ氏の心を動かしたものは、一種反動的の感情でした、一見して其童児が嘗て見たことのないほど秀逸ものと分かった時、起ったので、殊に容色の美いことは非常の者でした。。其体つきの屈強で撓やかな處、幼顔の雄々しき處、頭をしゃんと擡げて、進退する動作の勇ましき處等の一々亡父に似て居ることは、実に不思議な程でした。髪は黄金色で父にに、眼は母の茶勝な處にそっくりでしたが、其眼付には、悲しそうな處も、臆せ気味な處もなく、只あどけない中に、毅然とした處のあるは、一生涯、なににも怖ぢたことなく、疑ったこともないという気配でした。ハ氏は、心の中に、是は又大した上品で、立派な童児だと思いましたが、口に出しては、極くたんぱくに、『左様ならば、これがフォントルロイ殿で御座るか。』といいました。
(『小公子』p.36)

若松は、英文で絶賛されているセドリックの様子を、当時としては自然な話し言葉で訳出しており、「言文一致の極み」とされる名調子である。

だが、翻訳が難しい箇所については、いさぎよく削って訳す、という大胆さも併せ持っていた。

‘Dearest,’ said Cedric (his papa had called her that always, and so the little boy had learned to say it) ‘dearest, is my papa better?’
He felt her arms tremble, and so he turned his curly head, and looked in her face. There was something in it that made him feel that he was going to cry.
(Little Lord Fauntleroy, p.6)

「かあさま、とうさまは、もう、よくなって?」
と、セドリックが云ひましたら、つかまったおっかさんの腕が、顛へましたから、ちゞれ髪の頭を挙げて、おっかさんのお顔を見ると、何だか、泣きたい様な心持がして来ました。 (『小公子』p.6)

原文の‘Dearest’とは、セドリックが母に対して使う呼称で、「最愛の人」という意味だ。父親が母親をそう呼んでいたことから自分のそのように呼び始めた、と上記の引用文で説明されているのだが、翻訳ではばっさりとカットされている。「細君」「愚妻」などという呼び方が一般的だった明治期において、この‘Dearest’は訳しても読者に意味が通じないと考えてのことだったと推測される。

英米文化にあこがれを抱かせ、それを理解するツールとして機能していたであろう『小公子』だが、読者の理解を超えてしまう箇所は削除するという、実は偏りのある翻訳になっている点は注目に値する。翻訳『小公子』は、制限つきの文化理解を提示した一例と言えよう。

(5)につづく

文学部 国際英語学科 准教授 小泉 朝子





posted by 園遊会 at 11:27| Comment(0) | 明治維新150年
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