2019年07月14日

中世史家の見たフランス革命(1)−3

地域とともに活躍する川村学園女子大学





1-3)職業集団の序列

 地上の世界は「祈る人」、「戦う人」、「働く人」という三つの社会集団から成り立っている、という考え方を御存知でしょうか。これは11世紀の初め、北フランスに生きたアダルベロという司教が述べたことで、その時代の社会思想・世界観です。

その当時は職業選択の自由などありませんから、生まれた時から人生は決まっていました。貴族に生まれれば、剣を手にして地上の悪と戦い、混乱を平定すればよい。さもなければ、学問を修めて神に祈りを捧げる者になればよい。農民に生まれれば、大地を耕し、人々の糧を生み出せばよい。三集団はそれぞれの生き方で神に仕えているのだから、誰が偉く、誰が卑しいということはない。神は地上に生きる人々にこのように命じ、秩序付けたのだ、と、司教は考えました。

つまり社会三機能論であって、三身分論ではなかったはずなのですが、この思想が広まるにつれ、いつの間にか三機能を担う三集団に序列が出来てしまいました。これが第一身分(聖職者)、第二身分(俗人貴族)、そして第三身分(市民)という身分制社会の起源になったことは理解いただけると思いますが、同時に第三身分の内実が微妙にずれていることにも気づかれたと思います。当初、「働く人」とは農民のことで、都市民つまり商工業者ではなかったのですが、どこかで言葉と現実がずれてしまいました。


 三つの社会集団の内、「働く人」が中世・近世を通じて多様化していったことは容易に理解できると思います。もちろん大多数は農民で穀物栽培と畜産・酪農に従事していましたが、地方によってはブドウ栽培と醸造業に特化していく生産者も現れました。職人や商人も細分化と多様化の一途をたどったことは御承知の通りです。

町で小さな小売店を営む者から、何艘もの大型帆船をチャーターしてアジアやアメリカとの交易を取り仕切る貿易商にいたるまで、規模も業種も様々です。賢い両替は他人から金銭を預かり、融資や投資をする銀行家になり、勘定の才を買われて、時には徴税を請負うようになります。

ローマ法を学んで、弁舌に人生を賭けようとする人も現れます。古代ギリシアの自然観と聖書の記述はどのように理解すれば矛盾せずに両立するか、と議論を戦わせていた人々は教会や修道院とは別に、大学やアカデミーを設立するようになりました。スコラ(閑)を持て余して愚にもつかぬことを真剣に考えている人も、学者という職業人と認められるようになったのです。


 このような職業の多様化は序列化には直結しないはずですが、扱う金銭の多寡、獲得した知識の多少、利用する技術水準の如何、あるいは権威・権力との親密さの度合い、何らかの判断基準が社会通念として序列を生み出してしまいます。しかも単に「立派な」職業と「如何わしい」仕事を区別するだけでなく、従事する人々の団体つまり職業別組合や信心会(特定の守護聖人の下で相互扶助と親睦を目的とする団体)にも序列を持ち込みます。

1691年の調査ではパリに133の職種別組合があったことが確認されます。その中で金銀細工師の組合や食肉業者の組合が乞食の組合よりも高い地位にあるのは当然だと思いますか。そうでしょうね、という気持ちと、割り切れません、という気持ちと半々でしょうか。


 このように旧制度の社会は機能的・職能的な面でも、言わば伝統となった価値観に基づいて序列化され、いわゆる「軽蔑の瀧」を形成していましたが、大切なことはその序列化されたものはやはり個々人ではなく団体ないし集団であり、序列されることで国家権力からその存在を認知されたということです。


 旧制度社会の説明を終えるにあたって、もうひとつ大切なことを付け加えておきましょう。序列化された二系統の社会団体は決して受け身の支配を蒙るだけの存在ではなかったということです。すでに説明したように、官僚や軍隊は、民衆に圧力かける装置という意味では、あまり有効とはいえませんでした。ですから税を強引に取り立てることは実はかなり難しかったと考えられます。村や町、教会や組合、多くの団体は、戦いに明け暮れて財政難に陥った王を助けて協力したことを記憶し、記録にとどめ、国王尚書局の印璽を受けました。そのような証書を交渉の場に持ち込んで、何らかの特権、多くは課税に関わる特権を享受しました。

王もまた様々なレベルの団体に個別に交渉して取引をしながら協力を仰ぐという姿勢をとり続けました。何度も繰り返しますが、旧制度の社会は個別対応です。決して絶対的な王権が民衆を画一的に抑圧した社会ではないのです。王は延々と過去の経緯を主張する様々な団体に耳を傾け、粘り強く個別に交渉することが必要だったのです。途中で切り上げて、交渉を決裂させても何のメリットもありません。王の側からすれば、一度限りのこととして免除を与えたつもりでも、それは先例となり、特権を得たと主張されることになります。旧制度の社会では、「特権」と「免除」と「自由」はほぼ同じ意味で使用されました。「免除特権の実績がある」という意味で、団体は「自由がある」と主張したのです。

(4)につづく

文学部 史学科 教授 金尾健美






posted by 園遊会 at 13:35| Comment(0) | 明治維新150年
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