2012年08月29日

カリブの海賊の真実(2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学
 


海賊のブランド! カリブ海!?



(2)海賊黄金時代の背景

実際のカリブの海賊が活躍したのはいつの時代かご存知ですか?

カリブの海賊の黄金時代は17世紀の後半から18世紀の20年代までとされています。

この頃、フランスは「太陽王」ルイ14世、ロシアはピョートル大帝
インドのムガール帝国はアウラングゼーブ帝
中国の清は康熙帝、そして日本の江戸幕府は「犬公方」徳川綱吉といった、
歴史上非常に有名な支配者たちの治世でした。




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(※)ルイ14世(リゴー画:ルーブル美術館蔵)      (※)徳川綱吉(土佐光起筆:徳川美術館蔵)
                     


想像してみましょう。まだ、電気はおろか鉄道も蒸気船もありません。
鉄砲は一発ずつ装填しなければ発射できませんでしたし、
大砲の砲弾はたいてい爆発しないただの鉄球でした。


今ではほとんど根絶された伝染病で多くの命が失われましたし、
外科手術に必要な輸血も点滴も麻酔もありません。
凶作で飢饉が発生することもしばしばですし、
世界中で絶えず戦争が行われていました。

アメリカ合衆国もまだありません

要するに、わたしたちの生きている現代とは、いろいろな意味で非常にかけ離れた、
人が生きのびることの厳しい時代でした。

しかし、なぜ海賊といえばカリブ海、と相場が決まっているのかご存知ですか?

まず、場所を確認しておきましょう。
カリブ海とは、大西洋をはさんでヨーロッパの反対側にある、
キューバやヒスパニョーラ、ジャマイカやバルバドスなど
無数の島々(西インド諸島)を擁する海域です。




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※青く光った辺りが海賊たちの活動基地


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1492年、ジェノヴァ生まれの船乗りクリストファー・コロンブスが、
スペイン女王の命を受けて大西洋を西に進んで「インド」に到達しようとしましたが、
実際にたどり着いたのがいまのバハマ諸島のサンサルバドル島でした。

ヨーロッパから見てインドは東にありましたので、アフリカ南端の喜望峰より東側のことを、
彼らは「東インド」と呼んでいました。

しかし、コロンブスたちは、このとき、西に進んで陸地に着いたので、
そこを「西インド」と名づけたのです。
(本当はインドではなく「新大陸」――のちの南北アメリカ大陸――だったのですが)

この西インド諸島がヨーロッパ諸国にとってとりわけ重要になってきたのが17世紀です。

歴史的な順序からいうと、
まず16世紀に、スペイン人が南米大陸に埋蔵されていた銀に目をつけ
先住民やアフリカから「輸入」した黒人奴隷を酷使して、
大量の銀を採掘してヨーロッパへ持ち帰っていました。

出遅れたイギリス、フランス、オランダやデンマークといった国々は、
スペインの影響がしっかり確立されていなかった西インド諸島を植民地化していきます。
かれらは銀を満載したスペイン船を襲撃したりもしましたが、
やがてずっと安定的な富の源泉を見出しました。

ヨーロッパの人々がのどから手が出るほど欲しがった砂糖の栽培に、
この島々の気候は非常に適して
いたのです。

かれらは、スペイン人たちと同じように輸入した黒人奴隷を用いて、
サトウキビの栽培と砂糖の精製を行わせました。

その砂糖はヨーロッパに輸入され、銀にも劣らぬほどの莫大な利益を生みました



砂糖の市場2-1.JPG



※カリブ海の砂糖市場・スパイス市場


スパイス2.JPG




イギリス、フランス、スペインといった当時の海洋大国は、武力に訴えて互いに争い、
信じられないほどの富をもたらすこの地を奪い合いました。

これら諸列強による植民地戦争が熾烈を極めていく始まりです。



[※]1588年アルマダの海戦勝利 400年記念(イギリス1988 / 7/9 発行)


アルマダ縮小3.JPG

Calais・7/28−29(カレー沖の海戦)               North Sea・7/30−8/2(北海に神風来る)


上に掲げた「海戦」のスタンプ映像は、スペイン無敵艦隊とイングランド艦隊の有名な「アルマダ海戦」のイメージですが、
スペインがイギリスに攻撃を仕掛けて来たのも、スペイン領「西インド諸島」に対する守りが原因の一つになっています。


カリブの海賊の黄金時代は、まさに、植民地戦争と重なっていたのです

つまり、島々の領有が定まらず、非常に不安定な状態にあり、
本国からも遠く離れていましたから、法の支配は十分に及びません。

しかし、南米の潤沢な銀と、利潤率の高い砂糖、
富裕な植民者の消費財などが行き交い、そこには大量の貨幣や貴金属も動いたわけです。

目の覚めるような品々を積んだ船が目の前を通り過ぎて行ったのは、
このように治安がしっかり保たれていない領域であり、そこに巣食ったのが、
国籍に関係なくどんな船でも餌食にしようと虎視眈々と好機をうかがう海賊たちだったのです。




海賊の旗2.JPG
海賊船縮小.JPG


※夕陽に燃える海賊船のイメージ





※ロイヤルティフリー
(※)フリーウィキぺディア
[※]スタンプメイツ(切手映像資料所蔵) 切手で綴る大航海物語
資料提供 神戸の西原隆則



 (3)につづく

文学部 史学科 非常勤講師 金沢周作

(京都大学 文学部 准教授)




posted by 園遊会 at 23:28| Comment(0) | エンタメ
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