2013年10月20日

TOKYO 2020

地域とともに活躍する川村学園女子大学




TOKYO 2020


その瞬間。
会場が静寂に包まれ,人々の視線が一点に集まります。

ジャック・ロゲ会長(当時)が,おもむろに封筒から取り出した用紙には ・・・


TOKYO 2020



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Tokyo 2020 Announcement
IOC ジャック・ロゲ会長


ウィキぺディア・コモンズ(2013年 9月8日 作者 SWannasln)




夏季五輪として56年ぶりとなる東京開催が決まった瞬間でした。



始まりは2005年。
 2005年(平成17)1月,日本オリンピック委員会(以下,JOC)竹田恒和会長が年頭の挨拶で,
2016年,2020年のオリンピック・パラリンピック開催に向けて努力していきたいと述べました。


 それを受けて,東京都の石原慎太郎知事(当時)は,同年9月20日,平成17年度第三回都議会定例会の
所信表明において,正式に2016年のオリンピック招致を表明したのです。

 しかし,こうしたオリンピック招致に向けた発言は,当時,どちらかというと冷ややかに受け止められました。


 時はバブル景気崩壊後。ひたひたと忍び寄る不況の足音を,私たちは敏感に感じているころでした。
「格差社会」などということばが,流行語になったのもこのころです。


 もうひとつの理由は,相次ぐオリンピック招致の失敗です。

 夏季大会では,東京都が2016年のオリンピックに立候補する以前にも,名古屋市が1988年大会(ソウルで開催),
大阪市が2008年大会(北京で開催)に立候補し,いずれも大差で敗れています。招致に費やした巨額の負債が
残っただけでした。


 こうした世論をよそに,東京都はオリンピック招致活動という,大きな挑戦を開始することにしたのです。

 2006(平成18)年8月30日には,JOCが国内立候補都市評価委員会を開催し,同じく招致に名乗りを上げた
福岡市と国内立候補都市の座を争いました。55人名の選定委員による投票の結果,東京都は11票差で競り勝ち,
2016年五輪の国内立候補都市に決定したのです。



2016年夏季オリンピックの開催地選考


 オリンピック開催地の選考は,立候補を希望する都市が,自国の国内オリンピック委員会をつうじて
国際オリンピック委員会 (以下,IOC) に立候補の申請を行うことで始まります。そして,大会開催の7年前に開かれる
IOC総会で,IOC委員の投票により開催地が決定するのです。この選考方式はオリンピック憲章の第5章34則で
定められています。


 さて,2016年夏季オリンピック開催地への立候補は,バクー(アゼルバイジャン),シカゴ(アメリカ),
ドーハ(カタール),マドリード(スペイン),プラハ(チェコ),リオデジャネイロ(ブラジル),そして東京都の
7都市が立候補を申請しました。


 この7都市は,次に,申請ファイル(概要計画)を IOC に提出し,11項目にわたる1次選考を受けます。
11項目とは,「政府支援・世論」,「インフラ」,「競技会場」,「選手村」,「環境・影響」,「宿泊施設」,
「交通」,「治安」,「国際大会開催経験」,「財政」,「遺産・有効活用」で,それぞれに得点がつけられ,
その総合平均点6点以上が,IOC理事会による1次選考通過の目安になります。


 1次選考の結果,6点以上を獲得した5都市のうち,東京(8.3点),マドリード(8.1点),
シカゴ(7.0点),リオデジャネイロ(6.4点)が正式立候補都市に選出され,1次選考を通過しました。


 東京都は宿泊施設の項目で10点満点を得たほか,環境や治安,選手村で高い評価を受け,全都市中トップの
総合平均点で1次選考を通過したのです。


 なお,ドーハについては6.9点を獲得しながら,夏季の高温を避けるために提案した10月開催がIOCの規定に
反することや,競技施設の乏しさ,人口規模の小ささなどの懸念から,1次選考で落選しました。


 1次選考を通過した都市は,より詳細な開催計画を記した立候補ファイルをIOCへ提出します。
その後,IOCは評価委員会を組織し,委員会のメンバーはそれぞれの立候補ファイルを精査するとともに,
各都市を現地視察します(東京都の視察は2009年4月16日〜4月19日でした)。


 2009(平成21)年9月2日,現地視察を終えた評価委員会は,視察の結果をもとに各都市の長所と課題を
併記した評価報告書を公表しました。


 それによると,東京都は,コンパクトな会場配置,財政面,安全・治安面で評価を得たのに対し,
競技場,交通インフラ,選手村の広さ,国民の支持率の課題が指摘されました。なかでも55.5%という
支持率の低さは致命的で,4都市中最も高いマドリードの84.9%に大きく水をあけられてしまいました。


 2009年10月2日,デンマークの首都コペンハーゲンで開かれたIOC総会において,2016年オリンピック開催地を
決める投票が行われました。


 まず,シカゴ,東京,リオデジャネイロ,マドリードの順に最終プレゼンテーションを行い,
その後,評価委員会による各都市の最終評価報告を経て投票が行われます。


 開催地は,投票総数の過半数を獲得した都市に決まりますが,仮に1回目の投票でどの都市も過半数に
達さなかった場合は,最も票の少なかった都市を落選させ,2回目の投票を行います。この方法で過半数を
獲得する都市が出るまで投票を繰り返すのです。


 1回目の投票では,マドリードが28票で最も多く,次いでリオデジャネイロの26票,東京22票,
シカゴ18票という結果でした。規定によりシカゴが脱落。


 2回目の投票が始まりました。結果は,リオデジャネイロが46票,マドリード29票,東京20票。

 東京都は最終投票に進むことができませんでした。



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Games of the XXXI Olympiad

エスタジオ・ド・マラカナン (ブラジル、リオデジャネイロ)

(クリエイティヴ・コモンズより)




(2)につづく


教育学部 社会教育学科 准教授 藤原昌樹





posted by 園遊会 at 12:57| Comment(0) | スポーツ
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