2013年11月03日

TOKYO 2020 (2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学



2020年夏季大会へ,再び・・・


 招致に敗れた帰りの機上で,石原慎太郎知事(当時)は,「総力戦でやらなければダメだと思った。
IOCはみんな政治家でしたたか。JOCの組織力じゃ太刀打ちできなかった」と述べ,涙したというエピソードがあります。

 オリンピック開催の夢はついえたかに思えましたが,意外なところから招致構想が持ち上がります。

 2009年10月11日,「平和の祭典」と呼ばれているオリンピックを被爆地である広島市と長崎市で開催することで,
核兵器廃絶と平和の尊さを世界に訴えようと,2020年夏季オリンピック招致をめざし,広島・長崎オリンピック構想が
表明されました。


両市の被爆を象徴する建物



広島ドーム.jpg        長崎.jpg


・広島の原爆ドーム       ・長崎の浦上天主堂
 
(フリーウィキペディアより)




 しかし,この構想には,大きな問題点がありました。

 オリンピック憲章には,開催都市は1都市開催が原則と記されています。実現すれば近代オリンピック史上初めての
複数都市開催になるのですが,やはり壁は高かったようです。

 同年12月,IOCは複数都市の共同開催構想を却下。

 2010(平成22)年1月15日には,長崎市が立候補を断念し,広島市が単独でヒロシマ・オリンピック構想を表明します。
しかし,2011(平成23)年4月14日,広島市長選挙で招致反対を訴えて当選した新広島市長が,オリンピック招致を
正式に断念し,ヒロシマ・オリンピック構想ははかなく消えていきました。

 さて,東京都。

 2011年4月12日,前日の東京都知事選挙で再選された石原慎太郎知事(当時)が,2020年夏季オリンピックへ,
再度立候補の意欲を表明します。

 しかし,日本の情勢は,最悪でした。

 サブプライムローン問題に端を発したリーマン・ショックによる長引く不況,不安定な政局,そして,3.11 ・・・。

 東日本を襲った未曾有の震災は,沿岸部を中心に甚大な被害をおよぼしました。それに続く原発の問題。

 「こんなときに,オリンピックどころじゃない」

 多くの批判の声があがりましたが,東京都は招致活動を継続します。



2020年夏季オリンピックの開催地選考

 2011年9月1日,2020年夏季オリンピック立候補の申請が締め切られ,翌2日にIOCが,バクー(アゼルバイジャン),
ドーハ(カタール),イスタンブール(トルコ),マドリード(スペイン),ローマ(イタリア),それに東京都の6都市から
正式に立候補の申請を受理したと発表しました(その後,ローマは立候補を取り下げます)。


東京都では、

 ・9月15日,東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会が設立。
 ・10月18日,東京都議会が2020年夏季オリンピック・パラリンピックの東京招致を求める決議案を賛成多数で可決。
 ・10月19日,文部科学省内に招致対策本部を設置。
 ・12月6日,衆議院本会議,翌7日には参議院においても,オリンピック・パラリンピック東京招致に関する決議が
賛成多数で可決。
 ・12月13日,政府が,2020年オリンピック・パラリンピック東京招致を閣議了解。
と、着々と「オールジャパン」体制ができあがります。

一方IOCでは、
 2012(平成24)年5月23日,カナダのケベックシティで開かれたIOC理事会で1次選考が行われました。

2016年の開催地選考では11項目だった評価項目が,今大会の選考過程からは14項目(「競技会場・会場配置」,
「選手村」,「国際放送センター・メインプレスセンター」,「過去の国際大会開催実績」,「環境・気象」,「宿泊施設」,
「交通・輸送計画」,「医療・ドーピング対策」,「治安・警備計画」,「通信」,「エネルギー」,「通関・入国管理」,
「政府・世論の支持」,「財政・マーケティング」)に増え,総合平均点ではなく,正式立候補都市の選出に値するかの
評価が出されました。


 1次選考の結果,評価の高かったイスタンブール,マドリード,東京が正式立候補都市に選出されました。



(3)に続く


教育学部 社会教育学科 准教授 藤原昌樹






posted by 園遊会 at 18:06| Comment(0) | スポーツ
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