2014年01月29日

女性が学ぶということ

地域とともに活躍する川村学園女子大学


女性と大学



人間は社会的存在なので、生まれた時から社会で生き抜くためのスキルを身に着ける教育を受ける必要があります。

教育には3種類あります。

第1に親や身近な人によるものです。これはしつけと呼ばれるものでもあります。

あいさつや礼儀を学び、社会の伝統的ふるまいを身につけることで不要な軋轢から身を守ることが
できるようになります。

加えて初歩的な読み書きの技術を得て、社会における基本的なコミュニケーション力を養い、安全な人間関係を
作り出すことに役立たせることも現在ではしつけのうちにはいるかもしれません。この教育は愛情をもつ人間によって
なされるすぐれたものではありますが、限界があります。
なぜなら、子どもは成長し、親の知識や能力の範囲から出て行こうとするものだからです。


次に学校またはそれに類するものによる、期間を定めた制度のなかで受ける教育があります。このための期間は、
近代から現代にかけて、ひたすら伸びてきました。なぜなら人間として知るべき知識の量が膨大になり、
学ぶべきことが増え、社会が複雑化したからです。今日無知は無責任と同義語になっています。知識は開かれている
のでそれを求めないということは、本人の選択の問題となり、その責任がかかってくるからです。
この教育の制度は人類の叡智の結晶であるといっても過言ではありません。
人の平均的な発達段階に応じて教える内容や方法を変え、ある程度決まった期間を学ぶことに専従させる
というものです。


第3に自らによる教育です。なぜなら制度としての教育を離れてからも、人は社会の変化や環境の激変など、
個々の状況の変化に応じて必要なことを学び続けなければならないからです。そのスタイルは非公式で、学ぶ相手は
自ら選んで師事するひとであったり、メディアを通じて流れてくるものであったり、友人、知人、上司、部下、
時には子供であったりもします。この学びは意識するにしろしないにしろ生きている限り続くものです。

こうしてみると、人間は学ぶ動物であるともいえるのかもしれません。


大学は制度としての教育の最終過程にあるものです。学校の中でも最高学府といわれます。

人間が自らを成長させることに専念できる最後のチャンスといえるかもしれません。そこで学ぶことは長い間
男性の特権でした。

このチャンスが女性にも開かれるようになったのは、ごく最近のことです。

古来女性は結婚して子供を産み育てる役割をもつとされてきました。

もちろん歴史上にその知性や能力を認められた女性がいたことは、事実ですが、かなり例外的であったといえる
でしょう。

それが両立できるものであることが受け入れられるまでには、時間がかかりました。

女性が公然と自らの知性をひけらかすことは善くないとされました。初等教育を受けられるようになっても、
受動的であることが期待され、時間の過ごし方から読む本の選択まで親や教師の指導のもとにあるべきだと
されました。

ナイティンゲールも『自伝』で、まだ若くて家族のもとにいたころ、日々読みたくもない本を与えられ、
やりたくもない刺繍をやらされて時間をつぶさねばならなかったことがどれほど苦痛であったと述べています。

(2)につづく


川村学園女子大学の風景




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平成25年10月26日保護者会における講演から

                        
教育学部長 山本由美子




posted by 園遊会 at 13:22| Comment(0) | 教育
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