2014年02月10日

女性が学ぶということ(2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学





女性と大学(2)



 当時の先進国であったイギリスでも、サロンで知的な会話を楽しむ女性の集まりが開かれるようになったのは、
18世紀後半のことです。彼らはブルーストッキングズとよばれました。
(本当に青い靴下をはいていたわけではありません。)

大学といえば、オックスフォードとケンブリッジだけだったイギリスに、ロンドンやダーラムなど新しい大学が作られ、
女性も聴講できるようになったのは、19世紀になってからです。ケンブリッジは、比較的早く1865年には女性も
男子と同じ試験を受けることを認めましたが、学寮生活をして教育を受けるのが大学であった時代に、
女性のための学寮が開かれたのは、1869年でこれは、1873年に移転してガートン・カレッジとなりました。
その寮生は、ケンブリッジの教育を男性と同等に受けられはしましたが、卒業試験にどれほどすぐれた結果をだしても、
学士号は与えられませんでした。ロンドン大学は最も早く、1880年には女性にも学士号をだしましたが、
女性を受け入れるのが遅かったオックスフォードでさえ、1920年には女性にも学士号を出したのに、
ケンブリッジがようやく女性の学士号授与を認めたのは、戦後の1948年です。

1970年代にも、卒業はしたけれど学士号を受け取られなかった元卒業生たちに遅ればせながら、学士号を授与する
儀式が行われていたといいます。

 初期に女性の学問を受ける権利を求めた先駆者たちはひどい理不尽にくるしめられました。
女性が頭を使うと子宮が動いて子供を産めなくなるとか、学問をした女性は貰い手がなくなって、
一生独身でいなければならなくなるなど平気で非難されました。男性優位の社会で、女性の進出を認めることは、
多くの人にとって脅威とみなされたのです。

このように学問を志す女性を差別した時代は、日本においても終わったと思われていますが、
世界にはまだまだ女性であるために教育の機会が失われている人々がたくさんいます。

最近の例ではパキスタンのタリバーン勢力によって銃撃されたマララ・ユスフザイという女学生がいます。
彼女と友人たちは手厚い手当をうけ回復しましたが、その殺人未遂事件の理由はただ彼女が女子の教育を受ける
権利を主張したからなのです。

教育はそれほど恐怖されるものでもあるのです。

 一方では今日の日本のように、教育を受けることが男女とも当然のこととされる国にあっては、教育は権利よりは
むしろ義務のように扱われ、学ぶことの喜びは些少される傾向があります。自分で振り返ってみても、文字が読める
ようになってわからないことが理解できた時の喜びはあったはずなのですが、忘れてしまっています。

やはりタリバーン以後のアフガニスタンで、女の子がはじめて文字の書き方を学んだときの表情を描いた映画が
あります。学ぶことがどれほどの喜びと誇りを与えてくれるかを思い出させてくれる逸話です。

 このように私たちは、最高学府において、人間が長い歴史のなかで培ってきた叡智(これをリベラルアーツといって
よいでしょう)にふれ、たとえどんな世界や状況になっても、自分の人生を素晴らしいものにする能力を身に着けていく
のです。大学はその手伝いをするところです。

 特に女性にとっては、学ぶ権利は近い過去に身近な女性たちが大きな偏見や抵抗と戦いながら獲得してきたもので
あることをよく知り、先人への深い感謝をもって、享受すべきなのです。そしてこの権利を損なうことなく
次の世代に伝えていくことが、自分たちの責任だということを認識しなければならないと思います。

                                               完




川村学園女子大学の風景(2)





表所 遠藤2-1.jpg





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平成25年10月26日保護者会における講演から


教育学部長 山本由美子




posted by 園遊会 at 15:09| Comment(0) | 教育
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