2014年04月24日

日本画っておもしろい

地域とともに活躍する川村学園女子大学




(1)日本画とは



 みなさんは日本画と聞いてどんな絵を連想されますか。
ふすまや掛け軸に富士山、桜、牡丹、鳥などが描かれた絵を思い浮かべる方も多いと思います。
しかし日本画とは何かと聞かれたときに正確に答えるのはなかなか難しいのです。

岩絵の具という独特の絵の具を膠(にかわ)で溶いて和紙に描かれているとか、日本の伝統的なものが描かれているとか、
陰影よりも輪郭線と色面で表現されていることが多い、というような特徴らしきものはあります。

しかし岩絵の具やその技法は古代、大陸から伝わってきたものです。また表現の仕方はいろいろですし、
何を日本的とするかについては様々な考えがあるでしょう。日本画とは実にあいまいな呼び方なのです。

逆に日本画とは何かを考えることで日本の文化を考える手がかりにすることができます。

ここでは日本画を厳密に定義せずに日本の絵画というような大雑把なところから見てみたいと思います。




絵因果経(部分)8世紀前半



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普賢菩薩像(部分)12世紀中頃



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北野天神絵巻(部分)13世紀前半




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狩野永徳「唐獅子図屏風」(部分)16世紀後半




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尾形光琳 「紅梅白梅図屏風」18世紀はじめ




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 意外なことに「日本画」という言葉は明治政府がアメリカから招いたアーネスト・フェノロサが
1882年、それまで大和絵とか和画と呼ばれていた当時の日本の絵画を指してJapanese paintingと呼んだ言葉を
「日本画」と翻訳したのが最初でした。

フェノロサは急速な西洋文化の輸入により価値を失いつつあった日本美術の良さを説きました。

彼の教えに共鳴した岡倉天心はアジアを一つの文化圏と捉え、東洋の良いところを受け継ぎ伸ばしつつ
西洋の良いところも採り入れて、新しい絵画を創造しようと1889年に東京美術学校を開きました。

このグローバルな精神は現代にも通用する点があると思いませんか。

教官の橋本雅邦をはじめ、ここから横山大観、下村観山、菱田春草など多くの作家が出ました。

岡倉は騒動で美術学校を辞職し上記の画家達と日本美術院を設立します。
こうして浅井忠や黒田清輝らの洋画に対抗するかたちで日本画は発展していきました。




横山大観「夜桜」部分1929年(大倉集古館蔵)




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船田玉樹「花の夕」1939年
 



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福田平八郎「雨」1958年        



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高山辰雄「いだく」1977年




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奥村土牛「醍醐」 1972年          




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町田久美 2007年作品




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 大和絵や和画が日本画と呼ばれるようになってからは100年あまりですが、日本の絵画の流れは脈々と受け継がれ、
戦後70年近く経つ今日まで実に様々な変化を続けています。

高松塚古墳の壁画から狩野派まで明治以前の日本の絵画も広い意味で日本画の延長で考えてみてはいかがでしょう。 




(2)につづく


教育学部 幼児教育学科 准教授 竹内 啓









posted by 園遊会 at 11:57| Comment(0) | シリーズ「東と西の物語」
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