2014年06月04日

アーネスト・サトウが見た幕末・明治(2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学



第2回 アーネスト・サトウの日本語研究



幕末の尊王攘夷が吹き荒れる中、サトウの日本での生活はさぞかし大変なことであったろうと思います。

しかし、サトウはそのような状況の中で貪欲に日本語を学び、通訳官として活躍していきます。
やがてサトウは、新たに訪日する通訳生のために会話のテキストを作ろうと考えるようになります。
そして出来上がったテキストが、『会話篇』(写真)と呼ばれる会話書です。

サトウが後に日本を回想して書いた『一外交官の見た明治維新』の中には、『会話篇』に関する次のような文章が
見られます。文中のミットフォードは、サトウの後から日本に来た通訳生です。




  「ミットフォードは、彼が以前に北京でシナ語を勉強した時のように、絶えず日本語の勉強に
没頭して、著しい進歩を見た。私は、彼の役に立てようと思って、一連の文章と対話を編纂
しはじめたが、これは数年後に『会話篇』という標題で出版された。」

                   


『一外交官の見た明治維新』坂田精一訳 上巻 249頁 岩波文庫




また、サトウの日記をもとに、サトウの幕末期から明治初期までの活動を描いた萩原延壽著『遠い崖――
アーネスト・サトウ日記抄』には、次のような記述があります。これは1872年の秋、アストン(アストンはサトウと同様、
イギリス人で日本研究家)が、受け取ったサトウの手紙の訳です。




「わたしは例の練習問題集に多少の補足を加えて、これを印刷させる仕事に取り掛かっています。」
  (中略)




このサトウの本は、『ジャパン・メイル』紙が印刷し、前述の横浜のレーン・クロフォード書店から
1873年(明治6年)に刊行された『会話篇』(Kuaiwa Hen.Twenty-Five Exercises in Yedo
Colloquial. For the Use of Students, with Notes.2vols.)のことである。

『岩倉使節団 遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄9』  300〜301頁
(朝日新聞1985年7月23日掲載 bP218) 萩原延壽(2000)





通常の会話テキストは型通りの文章からなっていることが多いのですが、サトウの会話テキストは、サトウが実際に
日本で体験した様々な出来事を題材にしており、大変生き生きした日本語を観察することができます。

サトウは通訳官の仕事をしていましたので、テキストの中には通訳者として必要な公的場面における改まった日本語も
入っていますが、その一方で日本での生活に必要な日本語、いわゆる日常的な会話に見るくだけた日本語をテキストの
中に入れています。

『会話篇』は、当時としては画期的な会話書であったといえましょう。

次回は『会話篇』の内容に迫っていきます。




アーネストサトウのノート.jpg



東洋文庫で複製された『会話篇』





(3)につづく

文学部 日本文化学科 教授 長崎 靖子




posted by 園遊会 at 18:02| Comment(0) | シリーズ「東と西の物語」
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