2012年09月12日

カリブの海賊の真実(4)


地域とともに活躍する川村学園女子大学





カリブの海賊のイメージは、やはり真実!?



4.海賊の掟とロマン


海賊はどんな人生を送ったのでしょうか?

前に、海賊の多くは「不本意就職」をしたことに触れました。
とはいえ、いったん仲間に入ってしまうと、ほかの船では経験できない魅力もありました。

たとえば、商船もそうですが、とくに軍艦内は完全なピラミッド社会で、
末端の乗組員には出世のチャンスも少なく、給料も低くて遅配、未払いもよくあることでした。

しかし海賊船は、首領の権威は大きなものでしたが、その他の乗組員の間の待遇は、
獲物の分配も食糧や飲料の割り当ても、基本的に平等だったと言われています。

戦闘で手足を失った時の補償さえもありました

僅かに残っている「海賊の掟」からもそのことがうかがえます。

しかも、部下の信頼を裏切ったり、きっちり成果の挙げられない首領は、すげかえられてしまいました。

次にご紹介するのは、バーソロミュー・ロバーツ(1682年-1722年)というウェールズ生まれの海賊の書いた掟“Articles”。
彼は、その生涯において400隻もの船舶から5千万ポンドに及ぶ略奪をしたと言われ、
18世紀前半までの「海賊黄金時代」最後にして最大の海賊とされ、ブラック・バート(Black Bart)の異名で知られています。
この掟Articlesは、一味全員が守ることを誓い、署名した文書です。
以下はそのうちの現存部分として、チャールズ・ジョンソン(『ロビンソン・クルーソー』で有名なダニエル・デフォーだという説もあります)が1724年に紹介したものです。


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出典
Charles Johnson, A general history of the robberies and murders of the most notorious pyrates, and also their policies, discipline and government, from their first rise and settlement in the island of Providence, in 1717, to the present Year 1724. (London, 1724), pp.169-172.



海賊たちが死刑より恐れた「孤島の置き去り」Marooning



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[※](孤島の置き去りの刑)
タークスカイコス 1971 7/17 発行



18世紀の初頭から、ヨーロッパ諸列強、とくにイギリスは、海賊の撲滅に力を注ぐようになりました。
カリブの海に法の支配を及ぼし、フランスやスペインなどとの棲み分けもできてくると、
海賊を共通の敵として「全人類の敵」に位置付けました。

海賊の存在を許すようなグレーゾーンはなくなっていったのです。
(列強自体、「海賊」以前に大海賊ではなかったか!)

海賊たちは、強力な海軍によって追いつめられ、抵抗して殺されたり、捕まって死刑になったりして、
1720年代のおわりには、かつてあれほど栄えたカリブの海賊はほとんど姿を消してしまったのです。


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[※](海賊ブラックバード船長と部下の手なる死亡宣言書)
セントクリストファ・ネヴィスアンギュラ 1970 発行


重要な情報としてもたらされる「バートの死」と、キャプテン・キッドの処刑


キャプテンキッド2.JPG

[※]海賊キャプテン・キッドのハンギング(絞首刑)1701
(ネヴィス2000/ 1/4 発行)


キッドのように有名な海賊が生きて捕まると、テムズ川岸で処刑し、防腐剤を塗っていつまでも晒して見せしめにしました。

海賊たちの多くは、若くして命を失いました。
運が良ければ稼いだお金を元手にして港で商売を始める人もいたでしょう。
しかし、ほとんどは歴史の靄のかなたに消えてしまいました。


沈没船.JPG


彼らがどうなったのか、知る方法はほとんどありません。

だからこそ、わたしたちはいつまでも、歴史上のカリブの海賊にロマンを感じ、
魅了されるのかもしれません。


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※ロイヤルティフリー
[※]スタンプメイツ(切手映像資料所蔵)切手で綴る大航海物語
資料提供者 神戸の西原隆則


文学部 史学科 非常勤講師 金沢 周作


(京都大学 文学部 准教授)




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2012年09月06日

カリブの海賊の真実(3)

地域とともに活躍する川村学園女子大学



本当にいた!男まさりの女海賊!



3.海賊のプロフィールとその生業

どんな人たちが「カリブの海賊」だったのかご存知ですか?

ディズニーランドや映画に出てくる海賊は、日に焼け、黒ひげを蓄え、バンダナを巻いて・・・
と不思議とスペイン系の南米の人たちを想起させる姿をしています。

しかし、実際のカリブの海賊だったのは、ほとんどが、いわゆる「イギリス人」でした。
ある研究によると、最盛期には海賊人口は2000人前後、そしてそのうち35%がイングランド人、
10%がスコットランド人、8%がウェールズ人、25%が北米植民地人、20%が西インド植民地人でした。
ですので、彼らの話す言語は英語だったと言われています。

彼らは、イギリスから商船や軍艦の船乗りとして西インド諸島にやってきて、
この海域で解雇されたり、嫌気がさして脱走したり、あるいは海賊船に捕まったりしたことがきっかけで、
海賊の一味に入りました。
海賊にあこがれて進んで海賊船に乗ったというよりは、生きるためにほかの選択肢がなくなって、
やむなく海賊稼業に手を染めたというのが大半だったと考えられています。

また、海賊は必ずしも男だけの世界だったのではなかったようです。
海賊船にはしばしば女性乗組員がいたという人もいますが、
おそらくその数は非常に少なかったはずです。

歴史に名前の残っている女海賊は確かにいました。アン・ボニーとメアリー・リードです。
最初は男装をし、女であることを隠していましたが、
女であるとわかった後も、仲間の男たちにも一目置かれるような勇猛ぶりを発揮したことが知られています。




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[※]女海賊アン・ボニー(バハマ 2003 3/18 発行)


男装した暴れん坊・海のアマゾネス


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[※]カットラスを握る女海賊メアリー・リード(グレナダ 1970 2/1 発行)





ところで、海賊といえば、海賊船を思い浮かべますが、
彼らが乗っていた船と、その他の商船、そして軍艦との違いをイメージできますか?

フィクションの世界では、海賊は強大な海軍と正面から対決したりします。
しかし、実際にはそのようなことは滅多にありませんでした。
理由は二つあります。

一つは、海賊が軍艦を襲撃するメリットが何もないことです

海賊の目当ては金品です。
ですから主なターゲットは無防備な商船になります。商船はふつう、積荷のスペースを多くとり、
人件費を抑えていたので、わずかな武装だけして、少ない乗組員の手で航行していました。

一方、海賊船の大きさは商船と変わりませんが、積荷がない分船足が速く、大砲を備え、
武装した海賊が多数乗り組んでいました。
海賊は、なるべく自分たちの被害を少なくして、相手の船もできれば無傷で奪おうとしました。
(沈没させてしまったら元も子もありません)

髑髏のマークの海賊旗も、襲った船の側の戦意を喪失させ、
                     無駄な抵抗を招かないために掲げられたといいます。





Calico Jackblack縮小.PNG


※海賊旗Calico Jack と、海賊の狙う八分銀貨(pieces of eight・当時の貴重な通貨スペインドル)


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理由の二つ目は、軍艦と海賊船とでは、海賊船に勝ち目がなかったからです。

海賊船は50〜200トンで、乗組員は80人程度です。
一方、イギリス海軍の最小規模の戦列艦でさえ700トンはあり、
十分に訓練され統率のとれた300人の水夫と海兵が乗組み、
搭載している大砲の数も50門と、比較にならない武力を備えていました。
(一番大きな軍艦だと2000トン以上、850人が乗組み、大砲を100門も備えていました)


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※海賊船・商船のイメージと、フリゲート艦のイメージを比べてみると、こんな感じ!?



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舷側に並んだ大砲で撃ち合いをすれば、100%、海賊船が負けたでしょう。


frigate大砲.JPG


※何段も並んだfrigate艦の大砲



さいわい、海賊船は島々の入り江や海流を熟知しており、巨大な軍艦よりも速かったので、
遠くに軍艦を見つけたら、彼らは見つからないよう、逃げていったのです。



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※オウムの見張りと、海賊の入江のイメージ


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※ロイヤルティフリー
[※]スタンプメイツ(切手映像資料所蔵)切手で綴る大航海物語
資料提供者 神戸の西原隆則



(4)につづく

文学部 史学科 非常勤講師 金沢 周作


(京都大学 文学部 准教授)



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2012年08月29日

カリブの海賊の真実(2)

地域とともに活躍する川村学園女子大学
 


海賊のブランド! カリブ海!?



(2)海賊黄金時代の背景

実際のカリブの海賊が活躍したのはいつの時代かご存知ですか?

カリブの海賊の黄金時代は17世紀の後半から18世紀の20年代までとされています。

この頃、フランスは「太陽王」ルイ14世、ロシアはピョートル大帝
インドのムガール帝国はアウラングゼーブ帝
中国の清は康熙帝、そして日本の江戸幕府は「犬公方」徳川綱吉といった、
歴史上非常に有名な支配者たちの治世でした。




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(※)ルイ14世(リゴー画:ルーブル美術館蔵)      (※)徳川綱吉(土佐光起筆:徳川美術館蔵)
                     


想像してみましょう。まだ、電気はおろか鉄道も蒸気船もありません。
鉄砲は一発ずつ装填しなければ発射できませんでしたし、
大砲の砲弾はたいてい爆発しないただの鉄球でした。


今ではほとんど根絶された伝染病で多くの命が失われましたし、
外科手術に必要な輸血も点滴も麻酔もありません。
凶作で飢饉が発生することもしばしばですし、
世界中で絶えず戦争が行われていました。

アメリカ合衆国もまだありません

要するに、わたしたちの生きている現代とは、いろいろな意味で非常にかけ離れた、
人が生きのびることの厳しい時代でした。

しかし、なぜ海賊といえばカリブ海、と相場が決まっているのかご存知ですか?

まず、場所を確認しておきましょう。
カリブ海とは、大西洋をはさんでヨーロッパの反対側にある、
キューバやヒスパニョーラ、ジャマイカやバルバドスなど
無数の島々(西インド諸島)を擁する海域です。




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※青く光った辺りが海賊たちの活動基地


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1492年、ジェノヴァ生まれの船乗りクリストファー・コロンブスが、
スペイン女王の命を受けて大西洋を西に進んで「インド」に到達しようとしましたが、
実際にたどり着いたのがいまのバハマ諸島のサンサルバドル島でした。

ヨーロッパから見てインドは東にありましたので、アフリカ南端の喜望峰より東側のことを、
彼らは「東インド」と呼んでいました。

しかし、コロンブスたちは、このとき、西に進んで陸地に着いたので、
そこを「西インド」と名づけたのです。
(本当はインドではなく「新大陸」――のちの南北アメリカ大陸――だったのですが)

この西インド諸島がヨーロッパ諸国にとってとりわけ重要になってきたのが17世紀です。

歴史的な順序からいうと、
まず16世紀に、スペイン人が南米大陸に埋蔵されていた銀に目をつけ
先住民やアフリカから「輸入」した黒人奴隷を酷使して、
大量の銀を採掘してヨーロッパへ持ち帰っていました。

出遅れたイギリス、フランス、オランダやデンマークといった国々は、
スペインの影響がしっかり確立されていなかった西インド諸島を植民地化していきます。
かれらは銀を満載したスペイン船を襲撃したりもしましたが、
やがてずっと安定的な富の源泉を見出しました。

ヨーロッパの人々がのどから手が出るほど欲しがった砂糖の栽培に、
この島々の気候は非常に適して
いたのです。

かれらは、スペイン人たちと同じように輸入した黒人奴隷を用いて、
サトウキビの栽培と砂糖の精製を行わせました。

その砂糖はヨーロッパに輸入され、銀にも劣らぬほどの莫大な利益を生みました



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※カリブ海の砂糖市場・スパイス市場


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イギリス、フランス、スペインといった当時の海洋大国は、武力に訴えて互いに争い、
信じられないほどの富をもたらすこの地を奪い合いました。

これら諸列強による植民地戦争が熾烈を極めていく始まりです。



[※]1588年アルマダの海戦勝利 400年記念(イギリス1988 / 7/9 発行)


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Calais・7/28−29(カレー沖の海戦)               North Sea・7/30−8/2(北海に神風来る)


上に掲げた「海戦」のスタンプ映像は、スペイン無敵艦隊とイングランド艦隊の有名な「アルマダ海戦」のイメージですが、
スペインがイギリスに攻撃を仕掛けて来たのも、スペイン領「西インド諸島」に対する守りが原因の一つになっています。


カリブの海賊の黄金時代は、まさに、植民地戦争と重なっていたのです

つまり、島々の領有が定まらず、非常に不安定な状態にあり、
本国からも遠く離れていましたから、法の支配は十分に及びません。

しかし、南米の潤沢な銀と、利潤率の高い砂糖、
富裕な植民者の消費財などが行き交い、そこには大量の貨幣や貴金属も動いたわけです。

目の覚めるような品々を積んだ船が目の前を通り過ぎて行ったのは、
このように治安がしっかり保たれていない領域であり、そこに巣食ったのが、
国籍に関係なくどんな船でも餌食にしようと虎視眈々と好機をうかがう海賊たちだったのです。




海賊の旗2.JPG
海賊船縮小.JPG


※夕陽に燃える海賊船のイメージ





※ロイヤルティフリー
(※)フリーウィキぺディア
[※]スタンプメイツ(切手映像資料所蔵) 切手で綴る大航海物語
資料提供 神戸の西原隆則



 (3)につづく

文学部 史学科 非常勤講師 金沢周作

(京都大学 文学部 准教授)




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2012年08月24日

カリブの海賊の真実

地域とともに活躍する川村学園女子大学




夏休みというと「海」、「海」というと南国のどこまでも続く透明な紺碧にあこがれるのは私一人でしょうか?

そう、日本からはるか離れた異国、カリブ海です。




4カリブの海(上空).JPG



※上空からみたカリブ海と、海岸


カリブ海2.jpg





Pirates of Caribbeanで湧くいつもの夏も、今年はオリンピックに譲った気配です。
オリンピックが終わったところで、まだ続く猛暑に負けないため、
気分をいま一度盛り上げようとここで「海賊」ネタに登場して頂きましょう。




パイレーツ・オブ・カリビアン」 は、ウソ?まこと!?





はじめに:想像上の海賊と歴史上の海賊


カリブの海賊と聞いて、どんなことを思い浮かべますか?

ギラギラと太陽の照り映える大海原を我がもの顔に、風の向くまま気の向くまま、権力に逆らい、束縛を嫌って、
自由気ままに生きる荒くれ者――。

ディズニーランドのアトラクションや大ヒット映画でおなじみの「カリブの海賊(パイレーツ・オブ・カリビアン)」のイメージは、
だいたい上のようなものではないでしょうか。


2海賊ジョ二デ.JPG


※お馴染みの「ジョニデ」です。





毎日がお祭り騒ぎで、仲間のきずなを何よりも大事にして、財宝を満載した船を探したり、
強力な海軍を出し抜いてみたり、といったわたしたちの海賊像は、
文学では『宝島』や『ピーターパン』、漫画やアニメでは架空の世界が舞台の『ワンピース』や
「宇宙」海賊『キャプテン・ハーロック』、それに『天空の城ラピュタ』に登場する「空」賊一家など、
さまざまなところに見られます。


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[※]海賊旗カリコジャックを掲げる女海賊とその仲間
(ディズニーランド30年記念“The Pirates of Caribbean”)
タ―クカイコス諸島 1985/ 10/4 発行



3海賊宝島2-1.JPG


※宝島のイメージ



それでは、このようなイメージの元となった実際の「カリブの海賊」はどのような人々だったのでしょうか。
せっかく皆さんが好んで抱いている海賊像があるのに、水を差すのは不粋かもしれませんが、
歴史学の研究者が真面目に調べてきた成果に触れておくのも意味があるのではないかと思います。




5夕陽のカリブ.JPG


※夕陽のカリブ


                   
※ロイヤルティフリー (米国 Shutterstock)

[※]スタンプメイツ(切手映像資料所蔵) 切手で綴る大航海物語
資料提供者 神戸の西原隆則



(2)につづく



                 
文学部 史学科 非常勤講師  金沢 周作
                        
(京都大学 文学部 准教授)




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